昭和のサラリーマンには必要のなかった資産運用が、なぜ令和時代に不可欠になったのか
会社に自らを出資していた昭和のサラリーマン
筆者が社会人になったのは、今から40年前の昭和の時代。上司から言われた言葉は、「社会人になったら、株の売買など資産運用にうつつを抜かすのではなく、一所懸命働いて会社に尽くせ」ということだった。
そうした議論は、昭和のサラリーマンには当たり前に受け止められていた。振り返っても以上の議論は相応に合理性があった。当時、多くの会社員は事実上、会社そのものに自らの投資を行っていたとも考えられるからである。
各個人が自らの働く会社を選び、入社し、同じ会社で一生働き続けるという暗黙裡の合意は、自らの人的資産を会社に投資すること、いわゆる「ハンズオン」で自らも経営に関与するPE(プライベート・エクイティ)投資でもあった。
しかも、会社はサラリーマン社長が会社経営も行う労働者協同体組織だった。会社員が自らの会社への人的資産の投資を行い、その見返りはサラリーやボーナスといったフロー収入にとどまらず、手厚い福利厚生や会社での出世によって経済的なメリットを得た。会社の成長が社員に大きな見返りをもたらし、会社と社員の成長ベクトルが一致する状況にあった。
会社と社員の成長ベクトルが同じ方向だった昭和モデルでは、資産運用などを行う必要はなかった。会社への就職そのものが最大の投資であり、その見返りもあった。さらに、「社員持株会」を通じ自社の株主になることも多く、そうした投資を会社も補助金支給でサポートしていた。
会社側は、社内で価値が生じるゼネラリストを育成するため、ローテーション人事を実施し、若い時期の給与は低いものの年功序列で賃金を引き上げ、退職時には退職金として後払い給付を行い、社員の長期定着を図った。
昭和モデルの転換で資産運用が必要に
金融の昭和モデルは、平成バブル崩壊を機に大きく転換した。企業は資金余剰になり、右肩上がり神話は終焉。日本が高齢社会に向かう中、会社に尽くせば報われる終身雇用神話は過去のものとなった。
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