知りたい!隣の企業年金【先輩に聞く】第8回 10年早かった企業年金の「革命児」〜大阪ガスで先進的運用、51歳で退職。現在Fincity .Tokyoアドバイザー
年2回お届けする【先輩に聞く】シリーズ第8回の今回は、大阪ガスで企業年金の資産運用を担当していた石田英和さんです。石田さんは20年ほど前から、当時珍しかったプライベート投資など先進的な運用を行う企業年金の「革命児」的な存在でした。しかし2016年、51歳で退社。コンサルタント会社を起業し、現在は東京国際金融機構(Fincity .Tokyo)のアドバイザーなどを務めています。なぜ、それほど早くリタイアし、その後、何をしていたのか。また、かつて企業年金の資産運用をリードしていた人間の目に、今の企業年金「界隈(かいわい)」はどう映じているのか。率直に伺いました。
石田 英和さん
コンサルタント会社「システム2」社長
(大阪ガス 元インベストメントオフィサー)

年金担当からの異動を拒否
私が朝日新聞の企業年金基金の常務理事に就任して間もなく、2019年頃です。先進的な企業年金について周囲に尋ねると、「昔、大阪ガスに石田さんというすごい人がいた」という話をよく聞きました。でも私より随分年齢が下。どうしてリタイアしたのか不思議に思っていました。
石田 大阪ガスを退社したのは2016年3月。確かにまだ51歳でした。
定年まで10年近くあったはずですよね。
石田 会社としてもセカンドキャリアを後押ししていましたし、正直少し居づらくなっていたからです。大ガスは規約型の企業年金で、本体の財務部門が担当部署です。私は1995年に財務部に配属され、その直後から当時の適格退職年金(適年)を担当しました。以来、適年から企業年金に移行する際の規約づくりや、資産運用まで約20年間、いわば「この道一筋」でした。「日本には投資家がいない」とか言われて悔しい思いをしていたので、アセットオーナー側の仕事を自分のキャリアにしようと考えていました。なので、他の部署に移ることは考えられませんでした。
公的年金に行くはずだった
資産運用の「武勇伝」は後ほど、たっぷり伺います。しかし、「辞める」といっても次なる行き先はあったのですか。
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