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聞き書き「年金運用30年」 【第2話】運用自由化、夜明け前だった〜生き字引・田中敬久のよもやま話〜
企業年金16年。米運用会社14年。一貫して年金運用の現場に立ち続けた田中敬久(たなか・たかひさ)さんが、年金「界隈(かいわい)」の30年を語り継ぎます。第2話は、田中さんが40代半ばで富士通企業年金基金の常務理事に就任されるまでのお話です。資産運用の手を縛られていた厚生年金基金(後の企業年金)が、運用自由化の大海に漕ぎ出す「夜明け前」でした。(聞き手:阿部圭介J-MONEY論説委員)

母親の血筋か。幼少から勝負勘
そもそも田中敬久とはどういう人間なのか。本日はそこから始めたいと思います。生まれはどちらですか。
田中 東京・港区です。父はサラリーマン。母は専業主婦。溜池の材木商の娘だったせいか、毎月決まった収入がある勤め人が魅力的に見えたみたいです。「立派な会社に就職するためには名門校に」といった考えで、とても教育熱心。私は中高一貫の麻布中学に進学しました。
相当勉強したのでしょうね。
田中 塾に通わされました。ただ、私は将棋が得意。塾の先生たちが将棋を指しているので横から口を出したら、指すようになって。私が勝つと先生も熱くなる。いつの間にか授業を受けずに指し続けるようになりました。
それはすごい。小さい時から勝負勘があったのですか。
田中 母親の影響が大きかったと思います。
どんなお母様だったのでしょう。
田中 父が年老いてからの子供だったので、商売のノウハウを教えておこうと思ったのか、学生時代から親に代わって銀行との交渉もしていたみたいです。いつも確率の高い方にかけて勝負するような人でした。
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