ドルは2021年から持ち直し上昇サイクルに

橋本 将司
公益財団法人 国際通貨研究所
上席研究員
橋本 将司(はしもと・まさし)
慶應義塾大学卒業後、三菱UFJ銀行に入行。国際通貨研究所研究員、グローバルマーケットリサーチ・シニアアナリスト、経済調査室ニューヨーク駐在などを歴任し、グローバルな為替市場やマクロ経済に加え、米国金融規制など幅広い分野の調査業務に従事。2020年より再び国際通貨研究所へ出向し、為替市場や主要国の金融政策・マクロ経済動向の分析を担当。理論的な観点からの為替市場分析を得意とする。国際通貨研究所ホームページ(https://www.iima.or.jp)にも各種レポートを掲載

2020年3月につけた高値を起点に下落基調にあったドルの名目実効為替レートは、2021年に入ると持ち直しに転じた。米国で大規模な追加財政政策が実現し、FRB(米連邦準備制度理事会)による金融緩和政策巻き戻しの期待も高まったことが背景にある。より大局的にみれば、2011年半ば以降のドル高サイクルにおいて、2015年頃より形成している高値圏でのレンジ内推移が続いている。

本誌2020年7月号「コロナショック後のドルの行方」で紹介したように、ドルサイクルは、米S&P500株価指数をMSCI新興国株価指数(現地通貨建て)で割った株価指数比率と連動性が高い(図表1)。米株価指数と世界景気の動向を敏感に反映しやすい新興国株価指数のどちらが相対的にアウトパフォームしているかが、米国を巡る国際的な資本フローの動きの代理変数となっており、ドルの動きにも反映されやすいとみられる。

図表

株価指数比率の分母・分子である両株価指数の上昇・下落の組み合わせからは、ドルサイクルを図表2のような①から⑥までの局面に分類することができる。例えば、両株価指数が上昇しているが、米株価指数がより上昇し株価指数比率が上昇している時は局面①(リスク選好のドル高)、逆に新興国株価指数がより上昇し株価指数比率が下落している時は局面②(リスク選好のドル安)となる。また、米株価指数は上昇するが新興国株価指数は下落している場合は、局面⑤(米国リスク選好・新興国リスク回避のドル高)となる。

図表

2010年代は、金融危機からいち早く回復し、IT産業の優位性も顕在化して相対的に好調であった米経済を背景に、局面①中心の流れとなってきた。2018年以降は米中通商摩擦激化による中国や新興国経済への悪影響が嫌気され、局面⑤となった。2020年のコロナショック以降は、感染拡大を制御して速やかに景気回復を実現した中国経済が新興国経済にも好影響を及ぼし、局面②となっていた。2021年に入ると、米株価指数の上昇は続いた一方、中国当局がコロナ危機対応の金融緩和措置を巻き戻した影響もあってか、新興国株価指数は上値が重くなり始めている。この結果、ドルサイクルは再び局面⑤となり、実際にドルも持ち直しつつあるのは冒頭指摘の通りだ。

米国期待インフレ率の上昇など一定のドルの上値抑制要因も

足元の局面⑤は、株価指数比率の反転上昇の割にドルの上昇ピッチは鈍く、両者の間に相応の乖離(かいり)が発生しているようにみえる。この背景には、まずパウエルFRB議長の金融緩和政策巻き戻しに対する慎重な姿勢や、コロナウイルス・デルタ変異株の感染拡大の米景気への悪影響に対する懸念などから、春先以降は米金利の反発が鈍く、ドルの上値の重さに影響している可能性があろう。米国と主要国の間の名目金利差や実質金利差とドルの連動性は、数カ月など短期的には高い場合があるのは周知の通りだ。

もっとも、年単位など長期的には常に高いわけではなく、大局的には株価指数比率のほうがドルサイクルとの連動性は高い。ドルは当面米金利の上値の重さに抑制される可能性はあるが、このまま株価指数比率の高止まりが続けば、米経済にリスクマネーが相対的に流入しやすい点からも、ドルはさらに持ち直す余地があろう。そうした状況が続けば、FRBによる金融緩和の巻き戻しのプロセスも進展し、結果的に金利差もドル有利な方向へさらに拡大する展開も十分に考えられる。

さらにドルの上値抑制要因として考えられるのは、FRBによる大規模な資産買入やゼロ金利政策長期化のコミットメントなどを受けた、2020年以降の米国の期待インフレ率の大幅な上昇だ。ドルの名目実効為替レートと米国の長期期待インフレ率(ブレイク・イーブン・インフレ率)の連動性は逆相関の形で高い。為替レートとインフレ率の相互に影響を及ぼす関係を市場が織り込んでいるほか、グローバルに市場がリスク選好的で、各国の期待インフレ率が上昇する局面では、安全な通貨とみなされているドルに下落圧力がかかりやすいと考えられる。

通常局面⑤では下落基調にあることが多い国際商品の総合的な値動きを示すCRB指数も足元上昇基調が続くなど、世界的にリフレーション圧力の強い環境が併存し、局面⑤の割には資源国通貨などが支えられやすく、ドルの反発を一部抑制しているとみられる。ただし、米国期待インフレ率は5月半ば頃をピークにひとまず上昇が一服している。FRBの金融緩和政策の巻き戻しが意識され始めたためとみられ、今後その見通しがさらに具体化してくれば期待インフレ率の上昇一服もより明確となり、ドルの上値抑制要因の後退につながってこよう。

米国双子の赤字の拡大はドル安につながらず

コロナショックで拡大した米国の双子の赤字がドル安要因になるとの見方もある。しかし、ドルサイクルは、過去から米経常収支や米財政収支の対名目GDP(国内総生産)比率と一定の連動性はあったが、株価指数比率とより連動性高く推移していた。経常赤字や財政赤字そのものよりも背景にある米国や世界経済の状況がドル建て資産への投資にとって望ましいかどうかが、ドルの動向にとって重要であることを示していよう。足元の株価指数比率の推移からすると、市場は米国の双子の赤字の拡大よりも、内需の強さを含む米経済の底堅さを相対的に評価し始めていると考えられる。

米国の双子の赤字を巡るファイナンス状況をみると、リーマン・ショック前の双子の赤字拡大とドル安局面では、財政赤字のファイナンスは海外からの米国債投資に大きく依存していた。しかし、足元の財政赤字は、主にFRBを含む米国内の金融部門による米国債投資に支えられており、海外への依存度は小さい。拡大した足元の米国の経常赤字のファイナンスは、海外からの株式投資や対内直接投資も有力な資金流入経路となっている。米国での前向きな事業リスクを取るような資金フローの流入は、足元のドルの底堅さにつながっている可能性があろう。

引き続き米経済は相対的に堅調に推移するとみられ、ドルサイクルは現状の局面⑤が継続、あるいは局面①に転換する可能性もあり、今後もドルの強含みが想定される。ただし、世界的なリフレーション圧力が残存するともみられ、ドルの上値抑制要因となろう。当面ドルは2015年以降の高値持ち合いの中を強含み地合いで推移しそうだ。なお、現時点で可能性は小さいが、中国経済を筆頭に新興国経済や欧州経済が米経済以上に好転した場合は、ドルサイクルが局面②に転換し、ドル安圧力が強まろう。

(記事内容は2021年9月2日時点)