金融引き締めの悪影響は無視できない

藤代 宏一
第一生命経済研究所
主任エコノミスト
藤代 宏一(ふじしろ・こういち)
2005年4月第一生命保険入社。2008年4月みずほ証券出向。2010年4月第一生命経済研究所出向。2010年7月内閣府経済財政分析担当にて2年間経済財政白書の執筆、月例経済報告の作成を担当。2012年7月副主任エコノミストを経て、その後第一生命保険より転籍。担当は、金融市場全般。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、2018年~参議院予算委員会調査室客員調査員

日経平均株価が3万円台を回復した翌日にあたる2021年2月16日の衆院財務金融委員会で黒田東彦日銀総裁は、「現在の株価がバブルの様相を呈しているか」という質問に対して、「(株価が)行き過ぎているかどうかは後になってみないとわからない」と回答した。一見すると、この発言は何ら示唆的ではなく、核心を突く要素は見当たらない。当然、この発言が大きく取り扱われることはなかった。ただし、筆者は日銀のETF(上場投資信託)買い入れの行方を予想するにあたって、この発言の意味するところは大きいと考えている。というのも、この発言はFED(米連邦準備理事会)ビューと呼ばれる政策スタンスを想起させるからだ。

FEDビューとは、大まかにいえば「物価安定」の達成を目的とする金融政策の結果、資産価格が大幅な上昇を示したとしても、それを金融引き締めによって阻止する必要はないとの考え方である。というのも資産バブルは、Ⓐそれが発生しているときに客観的な判定ができない、またⒷバブル退治のために金融引き締めを実施したとしてもそれによって資産価格の急騰が収まるかわからない、Ⓒ引き締めの結果として生じる実体経済への悪影響が無視できない──という問題があるからだ。

バブルを未然に防ぐことを重視する結果として失業が発生したり、設備投資が減少したりするなどして、実体経済が冷え込んでしまうくらいならば、Ⓓバブルが崩壊してからその時々の状況に合った対策を講じた方が全体として望ましい政策運営ができるのである。

筆者は、黒田総裁が「行き過ぎているかどうかは後になってみないとわからない」と発言した後、頭の中でⒷ→Ⓒ→Ⓓと続けたのではないかと邪推する。

ちなみに、FEDビューと反対の立場をとるのがBIS(国際決済銀行)ビュー。資産バブルを未然に防止することを重視し、バブルの兆候がみられた場合、インフレ率が安定していたとしても、速やかに予防的な金融引き締めを実施すべきとの考え方である。バブル期の過剰投資がその後の深刻かつ長期の不況を招くため、そうした代償を払うくらいならば、不人気政策である金融引き締めを早期に講じるべき、という考え方である。

1980年代後半に生じた日本のバブルとその崩壊が引き起こした金融システム不安(90年代後半から2000年代前半)、2000年代半ばの欧米住宅バブルが引き起こしたリーマン・ショック、これらの後始末に追われている時はBISビューがもてはやされ、バブルの温床を醸成したとして、中央銀行を批判する声が増えたのも事実である。BISビューは、資産バブル崩壊が引き起こす金融システム上のリスクをあらかじめコントロールし、持続的な成長を可能にする点において理想的な考え方である。しかしながら、現実に政策担当者が採用するにはハードルが高いと言わざるを得ない。資産価格、特に株価は政策担当者の通信簿としての性格を有しているため、よほどの覚悟がない限り、その上昇を止めることは難しい。筆者の認識では、現在の主要先進国でBISビューに基づいて政策運営をしている中央銀行はない。

コロナ感染状況が好転してもインフレ率の低迷は続く

もっとも、「コロナバブル」とも呼ばれる現在の資産価格上昇が一段と過熱し、明らかにバブルの様相を呈してきた場合はどうなるだろうか。基本的にそのような事態は起きないとみているが、仮にそうなった際、中央銀行はマクロ・プルーデンスを重視する動きを強めていくだろう。日銀HPによると、マクロ・プルーデンスとは「金融システム全体のリスクの状況を分析し、それに基づいて制度設計・政策対応を図ることを通じて、金融システム全体の安定を確保するとの考え方」である。

適切なリスク管理によって個々の金融機関の健全性は保たれていたとしても、多くの金融機関が同じタイミング、同じ理由でリスク量(貸出、有価証券投資など)を増減させれば、市場全体の動きが増幅し、結果的に金融システム全体の安定が損なわれることがある。サブプライム・ローンの拡大と焦げ付きが引き起こしたリーマン・ショックはその典型と言えるだろう。日本では1980年代後半に生成されたバブルが90年代前半に崩壊し、その後90年代後半から2000年代前半にかけて金融システムが不安定化した苦い経験がある。

最近マクロ・プルーデンスが話題になった例としては2021年1月のFOMC(連邦公開市場委員会)後のパウエル議長の記者会見がある。「資産価値の状況を踏まえて金融政策を調整する可能性はないのか」という記者からの問に対して、「金融システムの安定には金融政策よりもマクロ・プルーデンス政策を活用する。資産バブルに対応するために利上げして金融を引き締め、経済活動を減速させることが良いのか。これは未解決の問いだ。理論的に除外するつもりはないが、今まで実施したこともなく、今後も実施する計画はない」とした。やや極端に表現すれば、株価がいくら上昇しようとも経済・物価が過熱していなければ、金融引き締めは実施せず、マクロ・プルーデンスに基づく対応(=何らかの規制強化)を選択するということだ。日銀もこれに近い考え方をしているのではないか。

図表

それらの視点を踏まえ、日銀のETF買い入れが将来的にどうなるか考えてみたい。結論を先取りすると、筆者はかなり長期にわたって買い入れが続く可能性が高いとみている。それは取りも直さず、消費者物価上昇率2%の達成が困難だからだ。大幅な需給ギャップを抱える下、消費者物価に目を向けると、物価目標2%の達成はおろかマイナス圏の定着すら危惧される状況にある。新型コロナウイルスのパンデミック発生以前、失業率が約30年ぶりの低水準で推移していた状況ですらインフレ率は0%台半ば~ 1%程度であったことに鑑みれば、インフレ率の低迷はコロナ感染状況が好転しても長期にわたって続くと予想される。実際、黒田総裁は「2023年でも2%に達するというのが難しい状況であることは認めざるを得ない」としており、「ETF買い入れを含む金融緩和の出口のタイミングや、具体的な対応を検討する局面には至っていない」としている。

なお、ETF買い入れの柔軟化は、一定の目標が達成された(と説明できるようになった)ことが背景にある。そもそも日銀は、金融市場のリスクプレミアムを圧縮するため、ETFを買い入れている。日銀は、リスクプレミアムを計測する単一の指標はないと説明しているが、これまでの情報発信を整理すると日銀は「株式益回りと長期国債の差」を参照している可能性が高い。

図表

この尺度で計測したリスクプレミアムは、コロナショック後の益回り低下(= PER〈株価収益率〉上昇←株価急回復&業績見通し低下)によって圧縮が進み、2013年の黒田総裁就任以降で最も低水準で推移している。この指標は株式(リスク性資産)と国債(安全資産)の相対的な魅力を計測するに過ぎず、また長期金利が0%程度に固定されている状態では、もっぱら株式のバリュエーション変動を反映してしまうため、真のリスクプレミアムを表現しているかは微妙だが、少なくとも表面上のリスクプレミアムは低下したことになる。日銀がETF買い入れの柔軟化に踏み切る際に重視した一つの指標であることに間違いはないだろう。