黒田総裁の任期中はYCC政策の維持を予想

筆者は2022年3月時点(前号執筆時点)で「2023年4月の黒田東彦総裁の任期満了に向けて、YCC(イールドカーブ・コントロール)を主軸とする現行の金融緩和策の修正機運が高まっていく」可能性に言及していた。日本の消費者物価上昇率が2%近傍まで高まるなか、世界同時金融引き締めの流れに追随し、日銀が「便乗利上げ」に踏み切る展開もあり得ると見ていたからだ。

しかしながら、2022年4月28日の金融政策決定会合の結果を踏まえると、そうした見通しは怪しくなったと判断せざるを得ない。黒田総裁の任期中に金融政策の枠組み変更が議論される可能性は低下したと考えられる。翌日物金利をマイナス0.1%、10年物金利を「0%程度」に据え置くYCC政策は、少なくとも2023年4月までの黒田総裁の任期中は維持されるだろう。10年金利誘導目標の引き上げ、あるいは長期金利操作対象年限の5年への短縮化といった引き締め方向への政策変更は見込みにくくなった。

日銀は2022年4月27~28日に開催された金融政策決定会合で「常設指値オペ」と呼ばれる仕組みを導入した。政策変更という位置付けではなかったが「連続指値オペの運用の明確化」と銘を打ち、指値オペを毎営業日実施する方針を示した。

従来の連続指値オペは長期金利が0.25%に接近した段階で国債の無制限買い入れオペの実施を通知し、国債金利の上昇を都度抑え込む方式をとっていたが、こうした「都度方式」は、長期金利が0.25%に接近すると「日銀がオペを通知しないかもしれない」という疑心暗鬼が市場参加者の間で生じてしまう弱点を抱えていた。常設指値オペはこうした疑心暗鬼を完全に払拭するために導入された。端的に言えば、長期金利の上昇予想をより強く抑え込む策である。事実上の追加緩和と言っても差し支えないだろう。

日銀がこの措置を導入した基本的背景は、海外金利上昇に伴う国内金利の上昇圧力を抑え込むことであった。とはいえ、従前の都度方式で不十分だったかというと、それほど大きな問題はなかった。筆者はこの日銀の決定には、ある「怒り」が込められていたように思えて仕方がない。

というのも、4月下旬の金融政策決定会合の直前、円相場は節目の1ドル=130円を突破したことで、マスコミ報道では身近なモノの価格上昇の背景に円安があるとの指摘が多く見られ、その原因が日銀の金融緩和にあるとの解説も散見されていた。

それに先立つ4月15日(当時は1ドル= 126円近辺)は鈴木俊一財務大臣も「ウクライナ情勢も加わって輸入品などが高騰している。原材料を価格に十分転嫁できないとか、賃金がその伸びを補うように伸びていない環境については、『悪い円安』と言えるのではと思っている」とG20( 20カ国・地域) 財務省・中央銀行総裁会合で発言していた経緯があり、こうした空気のなかで金融政策の修正を予想する(あるいはそうするべきだという)声があった。この間、黒田総裁は「円安は全体を通して経済・物価をともに押し上げ、わが国経済にプラスに作用している」との見解を崩していない。

日銀は緩和修正観測を封じ込め

事前にあった修正観測は、①「長期金利誘導目標の引き上げ」と②「政策金利にかかるフォワードガイダンスの修正」であった。①については「0%程度」の解釈拡大がポイントである。「程度」の上限とされている0.25%を、例えば0.3%に広げるよう国債買い入れオペの運営を変更する案、あるいは「0.5%程度」といった具合に誘導目標そのものを引き上げるとの案だ。

②については、「政策金利については、現在の長短金利の水準、または、それを下回る水準で推移することを想定している」という現在のフォワードガイダンスから、「または、それを下回る水準」を削除し、日銀自らが利下げの選択肢を取り下げる形だ。心理的効果にとどまるとはいえ、日銀自らが将来の利下げ可能性を排除することは、日米金利差の拡大観測を抑制し、円高方向への圧力を生じさせ得る。

【図表】日米10年物国債利回りの推移
日米10年物国債利回りの推移
出所:Bloombergの資料を基に筆者作成

日銀はこうした空気を心地よく思っていなかったはずだ。そこで、引き締め方向への修正予想を徹底的に封じ込めるがごとく常設指値オペを導入した、というのが舞台裏の出来事ではないか。いわば「封じ込め政策」である。

ゴールデンウイーク明けの2022年5月10日も封じ込め政策は続いた。日銀の内田真一理事は、参議院財政金融委員会で長期金利誘導目標の変動幅拡大は「事実上の利上げ」であるとして明確に否定し、「それは日本経済にとって好ましいことではない」とまで言及し、黒田総裁に近い考えを示した。同氏は金融政策決定会合のメンバーではないものの、2016年9月のYCC導入に企画局長として携わっていたキーパーソンであり、その発言の意味は重い。

また、2022年5月12日に発表された「主な意見」には「交易条件の悪化や家計の購買力低下の主因は契約通貨建ての輸入価格上昇であり、これは円安による価格上昇とは異なることをしっかりと説明する必要がある」との記載があった。この意見は、マスコミ報道で散見される悪い円安論において、輸入物価上昇の主因が、あたかも「円安」であるかのように語られている節があることに対する反論であろう。

実際の輸入物価を押し上げているのは原油をはじめとする一次産品価格の上昇であり、これを日銀の金融政策で対処するのは不可能であるし、そうすべきでもないとの含意があるように思える。日銀が公式見解としては口にできないような本音を「主な意見」で披露した形だ。

こうした日銀の姿勢から判断すると2023年4月に黒田総裁が任期満了を迎えるまで日銀が緩和策を修正する可能性は低そうだ。賃金上昇を伴った内生的な物価上昇が実現すればこの限りではないが、残念ながらその可能性は低い。

その点、2022年4月の消費者物価指数が2%超の上昇となったことについて、黒田総裁は「2%になっているのは基本的にエネルギー価格などの輸入物価が上がっているということで、それが安定的に2%を達成するということにはならない」として物価上昇の「質」を重視する構えを崩さなかった。その上で、「日銀は現在のYCCを軸とする強力な金融緩和を粘り強く続けていく」とした。

もっとも、黒田総裁の任期満了後、YCCの操作対象年限を5年に短縮するなどといった政策修正が議論される可能性はあるだろう。その際の環境としては、もちろん国内景気がある程度持ち直していることが重要であるが、10年金利のコントロールを止めるにあたって、より重要な要素になってくるのは海外金利の安定であろう。

現在のように主要中銀が引き締め方向へ舵を切る環境は日銀の「便乗」を容易にする一方、海外金利上昇の余波で日本の10年金利の急上昇を招く恐れがあり、出口戦略が失敗に終わる危険性をはらむ。この点を重視すれば、海外中銀の引き締めが終わっている局面のほうが、容易に出口戦略に着手できると考えられる。新総裁就任後、2023年に海外金利が安定していれば、日銀は周回遅れで緩和策を見直す可能性がある。

藤代 宏一

藤代 宏一(ふじしろ・こういち)
第一生命経済研究所
主任エコノミスト

2005年4月 第一生命保険入社。2008年4月 みずほ証券出向。2010年4月 第一生命経済研究所出向。2010年7月 内閣府経済財政分析担当にて2年間経済財政白書の執筆、月例経済報告の作成を担当。2012年7月 副主任エコノミストを経て、その後第一生命保険より転籍。担当は、金融市場全般。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、2018年 参議院予算委員会調査室客員調査員