携帯電話や電子部品の輸出増加

北野 ちぐさ
アイザワ証券 
市場情報部(アジア情報課) 
マネージャー
北野 ちぐさ(きたの・ちぐさ)
2002年に法政大学法学部を卒業。同年、アイザワ証券に入社。個人営業部門を経て、2007年より中国や韓国をはじめとするアジア市場の調査、分析を担当。現在は市場情報部アジア情報課に在籍。ベトナムやインドネシアなどアセアン市場を中心に投資家向けセミナーや各種メディアなどを通して、わかりやすい視点で有望株を紹介している

新型コロナウイルス感染症による逆風を逆手にとって、存在感を増している国がある。ベトナムだ。同国の2020年の実質GDP(国内総生産)成長率は前年比2.91%と、マイナス成長を余儀なくされる国が多い中でプラス成長を維持した。このように好調な経済を支えているのは輸出だ。2020年の輸出額は前年比7.0%増と、アジア主要国を大きく上回ったほか、2021年1~2月も前年同期比23.2%増となった。世界的なテレワークの普及で携帯電話や電子部品、機械などの輸出が伸びていることが追い風となっている。

近年、ベトナムは「チャイナ・プラスワン」の有力国として関心を集めてきた。現地マーケットの成長性や、若くて安価かつ優秀な人材の存在などを理由に投資先として有望視されている。

ベトナムの総人口は約9600万人と、ASEAN(東南アジア諸国連合)内では3番目に人口が多い。国際連合によると、2025年には総人口が1億人を突破すると見られており、国内消費市場の潜在的な成長余地は大きい。また、平均年齢は約30歳と若く、識字率も97%に達している。向上心も高く、特に独身の間は終業後も語学や仕事に必要なスキルの習得などに時間を割く人が多く、勤勉さがうかがえる。

一方、最低賃金の平均上昇率が2019年は5.3%、2020年が5.5%と、近年賃金の上昇も目立つ。しかし、ベトナムに進出する日系企業の賃金比較を見ると、ホーチミンやハノイはほかのアジア主要都市と比べても低水準にとどまるため、安価な割に質の高い人材という評価につながっている。

さらにここ2 ~ 3年、注目が高まっている理由のひとつが地理的メリットだ。隣国の中国は2018年に小売市場規模で米国を抜き、名実ともに世界の消費市場へと成長した。その半面、人件費は上昇しており、進出企業は中国から他国へと生産拠点の移管を模索する動きが加速している。そのような中、中国と国境を接するベトナムは、ハノイから国境都市まで150キロ足らずと近く、有望な事業展開先として急浮上しているようだ。

例えば、近年中国からベトナムへと生産拠点を移管した代表的な企業の1つに韓国のサムスングループがある。同社は2009年に北部バクニン省で第1工場を稼働した。これに伴い日韓の部品メーカーを誘致し、北部にスマートフォン関連の一大集積地を築いた。

サムスングループの進出は、ベトナム経済にも大きな変化をもたらした。長年貿易赤字が常態化していたが、2012年に貿易収支が19年ぶりに黒字転換し、2013年には電話機・部品の輸出額が縫製製品(衣料品)を上回り、最大の輸出品目となった。さらに足元では、総輸出額の7割以上を外資企業による輸出が占めるなど、外国からのFDI(海外直接投資)が経済成長の原動力のひとつになっている。

ベトナム政府も海外マネーを呼び込むために、2007年のWTO(世界貿易機関)加盟以降、FDIの活用と共に貿易の自由化を推進している。2019年にはCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)、2020年にはEVFTA(EUベトナム自由貿易協定)、RCEP(東アジア地域包括的経済連携)など、大型協定が相次いで合意・発効した。中でもCPTPPは、価格競争力などの面からベトナムは加盟11 ヵ国の中で最も恩恵を受けるのではないかと期待されており、世界銀行はベトナムのGDPが2030年までに年間1.1%押し上げられ、輸出額が2.4%、輸入額が5.3%増加すると見込んでいる。

またEVFTAについては、ベトナム計画投資省の予想では輸出額が2025年に43%、2030年に44%押し上げられ、GDPも2020 ~ 2024年に2.2 ~3.3%、2025 ~ 2029年に4.6 ~ 5.3%押し上げられるとみる。世界銀行もCPTPPを上回る経済効果を見込んでいるようだ。

現在、EU(欧州連合)がFTA(自由貿易協定)を締結する国は日本、韓国、シンガポール、カナダ、スイス、英国の6 ヵ国のみで、新興国相手ではベトナムが初めてとなることからも、新興国の中でベトナムの輸出競争力が一段と向上することが期待される。

中国企業の工場移転が加速

長期化する米中貿易戦争もベトナムに特需をもたらしている。ベトナムのFDI認可件数は2009年に前年比41%と急増したが、国・地域別の内訳に注目すれば次のような変化が分かる。例年、認可額の上位を日本と韓国が占めてきたが、2019年は韓国が3年ぶりにトップに返り咲き、2位以下は香港、シンガポール、日本、中国の順となった。また、新規投資の認可件数を見ると、日本と韓国からの投資は1桁台の伸びにとどまった一方で、香港は前年比106%増、シンガポールは同31%増、中国は同76%増と急増した(図表)。

図表

香港やシンガポールからの投資は、中国企業の現地法人によるものがほとんどであるため、中国からの投資が急増していると言える。世界的なサプライチェーンに組み込まれた中国企業が、米中貿易戦争を背景に中国の工場から直接欧米企業へと輸出しづらくなっており、迂回輸出先としてベトナムへの工場移転が加速しているのだ。

さらに、ベトナムはこれまで築き上げてきた「チャイナ・プラスワン」の地位を、徹底したコロナ封じで不動のものにしつつある。ベトナムでは新型コロナウイルスの感染者数は2021年3月4日時点で累計2488人、死者は35人にとどまっている。同年1月末に襲来した第4波は、全国で879人の感染者を出すなど猛威を振るったものの、すでに感染の発端となった北部ハイズオン省以外では市中感染が出ておらず、沈静化に向かっている。

ベトナムは中国に張り巡らせた諜報網により、感染拡大の初期段階から深刻さを把握していたと言われている。ほとんど感染者が出ていなかった2020年の旧正月の時点から徹底した対策を講じ、封じ込めを行ってきた。米国でバイデン新政権が発足したものの、米中関係に大きな変化が予想しづらいことから、ベトナムは引き続き「チャイナ・プラスワン」の立ち位置を維持していくと見込まれる。米中対立とコロナの「双子の特需」を手にした同国経済にとっては、しばらく追い風の環境が続くだろう。

国営企業改革がカギ

転機が訪れているのは経済面だけではない。ベトナム株式市場は、外国人投資規制の緩和や国有企業の民営化促進により海外マネーを呼び込み、VN(ベトナム株価)指数は2018年4月に11年ぶりに史上最高値を更新した。これにより現実味を帯びてきているのが格上げだ。

ベトナムは代表的指標のMSCIやFTSEの構成国分類では、長年「フロンティア市場」に据え置かれている。厳しい外国人投資規制や英語での情報開示が限られていること、また、為替についてもオフショア市場がないことや証券取引に関連する取引しかできないことなどが理由に挙げられてきた。しかし金融市場改革の進展などを受け、FTSEは2018年9月に「新興国」への格上げにつながるウォッチリストに同国を掲載した。さらに、2021年1月に改正証券法が発効したことにより今後、NVDR(無議決権預託証券)の導入が進められる見通しとなった。外国人投資家のアクセス性が改善すると期待されることから、格上げに向けた大きな前進と言えよう。現地の市場関係者の多くは、2023~2025年での格上げを予想しているようだ。

2021年1月25日から2月1日に開催された第13回ベトナム共産党大会では、向こう5年間の経済成長率目標を6.5 ~ 7.0%とすることが正式に承認された。さらに建国100年にあたる2045年までの長期目標では、2025年までに1人当たりGDPを足元の2800米ドル(約30万2400円、1ドル= 108円で計算)から4000米ドルに引き上げ、2035年までに上位中所得入り、2045年までに先進国入りを目指すことを掲げた。

実現には、FTAの促進やFDIの誘致強化に加えて、停滞気味の国営企業改革などが必須である。転換期を迎えるベトナムにおいて、より一層、指導部の政策実行力が問われる5年間となるだろう。