GDPの20%は観光収入

北野 ちぐさ
アイザワ証券 
市場情報部(アジア情報課) 
マネージャー
北野 ちぐさ(きたの・ちぐさ)
2002年に法政大学法学部を卒業。同年、アイザワ証券に入社。個人営業部門を経て、2007年より中国や韓国をはじめとするアジア市場の調査、分析を担当。現在は市場情報部アジア情報課に在籍。ベトナムやインドネシアなどアセアン市場を中心に投資家向けセミナーや各種メディアなどを通して、わかりやすい視点で有望株を紹介している

タイは2021年11月、新型コロナウイルスのワクチン接種などを条件に、日本を含む感染リスクが低い63カ国・地域からの入国者に対する検疫隔離の免除に踏み切った。さらに、バンコクなどの17都県を「観光開国パイロット地域」に指定し、経済活動の制限を緩和するなど、外国人旅行者の受け入れを本格的に再開した。

タイはGDP(国内総生産)に占める観光収入の比率が約20%と、アジアの中でも特に観光業への依存度が高い。2000年代には、米同時多発テロ事件以降、欧米諸国への入国が難しくなった中東の富裕層による医療ツーリズムの受け皿となってきた。

さらに2010年代には、中国の中間層による海外旅行需要を取り込んだ。2019年にタイを訪れた外国人旅行者3979万人のうち、およそ3割を中国人が占めたほどだ。中国人にとって地続きで行き来できる同国は、比較的安い近場の海外旅行先として人気があるのだ。

しかし、コロナ禍が状況を一変させた。2020年の外国人旅行者数が前年比83.2%減の670万人まで減少(図表1)。さらに観光業に加えて輸出の落ち込みが響き、タイの実質GDP成長率も前年比マイナス6.1%と、アジア通貨危機以来の落ち込みとなった。

図表

観光業界では、外国人旅行者の受け入れ再開に歓迎の声があがる一方で、国民の多くは感染拡大に懸念を抱いているもようだ。

足元では、新たな変異株「オミクロン株」の出現により、再び世界各国が水際対策を強化している。観光業の回復はもうしばらく先となるだろう。観光業への依存度が高いタイ経済の回復ペースは、周辺国に比べて緩やかなものとなりそうだ。

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「中所得国の罠」に陥る可能性

タイが民政復帰してから2022年1月で2年半が経つ。とはいえ、プラユット首相は2014年の軍事クーデターを主導後、約5年間におよぶ軍事政権を率いてきたため、実質7年目の政権運営となる。民政移管時は、事実上の軍政継続に海外から厳しい目を向けられたが、国内では長年続く政治混乱からの安定を求める声が勝ったかたちだ。政治の混乱を背景に、タイの2006~2015年の年平均実質GDP成長率はプラス3.4%と、ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国の中で最も低かった。

タイは2020年の1人当たりGDPが7582米ドルに達する中所得国だ。だが、同時に少子高齢化が進んでおり、高所得国と呼ばれる水準まで成長する前に経済成長が停滞する「中所得国の罠」に陥る可能性が指摘されている。

生産年齢人口(15歳以上65歳未満)が従属人口(15歳未満と65歳以上)の2倍以上いる、いわゆる人口ボーナスは2031年まで続くとみられるものの、総人口に占める従属人口比率の低下が続く最も活発な時期は2014年に終わりを迎えた。持続的な経済成長のためにも、経済構造の転換に迫られていると言えよう。

そのような状況を受け、プラユット政権は20年後の先進国入りを目指した「20カ年国家戦略(2018~2037年)」を策定した。ビジョンとして産業の高度化を目指す「タイランド4.0」を示し、これを実現するための中核プロジェクトとして経済特区「東部経済回廊( EEC)」の開発を掲げるなど、数十年ぶりとも言われる大規模経済計画を打ち上げたのだ。

もともとタイは「大メコン経済圏」の中央に位置し、周辺国に比べてインフラも整備されているほか、自動車や電機・電子、コンピューターなどの産業が集積していることから、外国企業にとって人気の進出先とされる。ここ数年は、米中通商摩擦を背景とした中国からの生産拠点の移転といった追い風も吹いていた。

一方で、近年CRMV(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)の台頭により、タイの優位性の低下も指摘されている。誘致合戦が熾烈さを増す中、タイ政府は「タイランド4.0」によって差別化を図る方針だ。

「タイランド4.0」では、5つの既存産業(次世代自動車、スマートエレクトロニクス、医療・健康ツーリズム、農業・バイオテクノロジー、未来食品)と、5つの新規産業(ロボット産業、航空・物流、バイオ燃料・バイオ化学、デジタル産業、医療ハブ)を重点産業に定めている。ただ、特に新規産業については国内にほとんど基盤がないため外国企業の役割が大きい。そこで、バンコク東部3県を投資優遇地域に指定し、外国企業の誘致を図ることとなった。

「タイランド4.0」や「東部経済回廊( EEC)」の開発はCRMVとの競争と一線を画すものであり、むしろ地理的なメリットを生かして成長が目覚ましいこれらの国の発展を取り込み、タイ経済を持続成長させることが期待される。

学生の民主化運動と国王批判

そんなタイ経済の懸念材料の1つが物価の上昇だ。2021年10月のCPI(消費者物価指数)は前年同月比プラス2.38%と、2カ月連続でプラスとなった(図表2)。まだ水準的に高くはないものの、徐々に物価高の兆しが出始めている。資源の少ないタイにとって、直近の資源高は物価高騰の要因となりうる。特にタイの燃料輸入額は、2021年4月から前年同月を大幅に上回るペースで推移している。1~9月では前年同期比20.9%増加した。

図表

エネルギー省は、原油の国際価格上昇により、コストは前年より44.7%上昇していると説明する。2021年10月のCPIのうち、「エネルギー」は前年同月比プラス22.6%となった。通貨バーツが対米ドルで下落傾向にある中、中央銀行は早晩利上げに踏み切らざるを得なくなることも考えられ、景気回復を遅らせる要因となることもあろう。

もう1つの懸念点は、くすぶり続ける反政府運動の火種だ。2020年に、反軍政を掲げ若者の支持を集めていた野党第2党「新未来党」への解党命令を契機に群衆の反政府感情に火がつき、数万人が参加する大規模なデモが繰り返されてきたのだ。

タイでは大規模な反政府デモやクーデターが幾度となく繰り返されてきた。近年では、2014年の軍事クーデターまで続いた、タクシン派と反タクシン派による対立が記憶に新しい。

ただ今回のデモは、政争ではなく学生中心の民主化運動である点と、これまで最終的に介入して事態を収めてきた国王が批判の対象となっている点で、これまでの反政府デモとは一線を画す。2021年に入り、しばらく新型コロナの感染拡大で休戦状態となっていたが、同年6月以降、政府のコロナ対策の失策を糾弾するかたちで再燃している。

これまでも反政府運動の緊迫化は、証券市場において海外勢の資金の引き揚げにつながってきた。今回の反政府運動は、過去の政争とは大きく異なり妥結点も見えにくい。両者のにらみ合いが長引けば、経済正常化の腰を折りかねない。

「タイランド4.0」など先進的な政策を打ち出している一方で、観光の回復の遅れやインフレと利上げ懸念、国内の混乱と不安材料も多く、タイ経済が本格的に回復するシナリオが描きづらくなっている。くすぶり続ける反政府運動の火種を抑えつつ大規模政策を推進していけるのか、政府の手腕と実行力が試されている。