金(ゴールド) 金が上昇する背景
金の価格が史上最高値圏にある。一部には基軸通貨としてのドルの信認が揺らいでいるとの見方もあるようだが、必ずしもそうとは言えないだろう。金は、対ドルだけではなく、他の主要通貨に対しても軒並み上昇しているからだ。ドルの信認に問題が生じていれば、ドルベースでの金の価格上昇だけではなく、ドルは他の主要通貨に対して大きく値下がりしていなければならない。為替市場の動きを見ると、確かにドルは今年に入って対円、ユーロ、スイスフランで小幅に下落した。しかしながら、ドルの実質実効レートは高値圏を推移しており、足下の動きが基軸通貨としての「信認」に関わるような状況ではなさそうだ。
ちなみに、基軸通貨国と言えば、古代ローマ、大航海時代のスペイン、ポルトガル、近代の大英帝国、そして現代のアメリカ合衆国であり、いずれもその時の覇権国に他ならない。イメージとしては、圧倒的な経済力、安定した政治システム、強力な軍事力、そして洗練された金融市場などが要件とされるが、最も重要なことは貿易収支が大幅な赤字であることだ。覇権国は、自国民に国家の経済として稼ぐより豊かな生活を提供しており、その帰結として貿易収支が恒常的な赤字となるのが宿命である。つまり、他の国・地域から多くの物品・役務を購入する。「あなたのモノを買いましょう。ただし、支払いは我が国の通貨で」……これが覇権国の通貨が基軸通貨化する最大の要因だろう。基軸通貨は借用証書なのである。
借用証書である以上、信用力が重要であることは言うまでもない。したがって、金融システムが脆弱だったり、財政政策がすぐに混乱したり、他国から簡単に攻め込まれては失格だ。洗練された金融システム、安定した政治、強力な軍隊が必須条件なのだろう。すなわち覇権国である。2019年、米国の貿易収支は8,544億ドル(約90兆円)の赤字だった。これは、オランダ1国のGDPに相当する規模に他ならない。その需要が世界経済を支える一方で、決済通貨として世界がドルを保有しなければならない。IMF(国際通貨基金)によれば、昨年末、各国が保有する外貨準備のうち57.9%に相当する6兆7,949億ドル分が米国ドルだった。
この構造を見る限り、ドル基軸通貨体制が簡単には揺るがないと言えるのではないか。ドルに代わる通貨が現れるとすれば、その国は米国以上に世界の物品・サービスを大量に購入しなければならない。今のところそのような国がすぐに出現するとは考えにくいだろう。
基軸通貨国の特権を行使する米国
米国は、景気拡大期にはドル高、景気後退期にはドル安を指向する傾向がある。消費や投資が堅調ならば、ドル高は輸入費用を削減する有力な手段に他ならない。それ以上に重要なのは、米国経済は恒常的な消費超過(=貯蓄不足)であり、財・役務の輸入に際して世界の金融市場から資金を調達する必要がある。ドル高はそのファイナンスを低コストで円滑に行う武器だ。
一方、景気後退局面では、ドルの下落により他国・経済にデフレ圧力を転嫁、自国のデフレ圧力を緩和しようとする。リーマン・ショック後、QE(量的緩和)1、QE2に伴うFRB(米連邦準備理事会)の資産規模の拡張、流動性の大量供給は、ドル安・円高の強い圧力となった。2012年12月26日、日本では第2次安倍政権が発足、翌年3月に黒田東彦元財務省財務官が日銀総裁に就任し、4月4日には『量的・質的緩和』を採用、急速なドル高・円安局面となったことは記憶に新しい。その背景には、米国がリーマン・ショックによる経済の調整を終え、本格的な景気拡大期に入ったことがあったのではないか。日銀が供給したマネーは、日本国内ではなく米国において米国経済が成長する原資となったのである。
米国国民が消費を拡大して貿易収支の赤字が大きくなった結果、他の国・経済は決済通貨として否応なくドルを受け入れた。さらに、金融緩和期にFRBがマネータリーベースの供給量を大幅に増やすと、ドル余剰になりドル価格は他の通貨に対して下落するものの、多くの国は外貨準備としてドルを保有しなければならない。したがって、ドルは下落しても最終的には他国によって買い支えられるのである。基軸通貨国でない国が同様の手段を用いようとすれば、際限のない通貨安に陥る可能性があるのではないか。
自国の景気循環のフェーズに合わせた為替の実質的なコントロールは、基軸通貨国の特権と言えるだろう。新型コロナ禍により米国経済の先行きには不透明感が強い。だとすれば、米国の政策当局は、中期的に他の主要通貨に対してドル安傾向を「善」とすることが予想される。
通貨価値下落の時代のリスクヘッジ
金が史上最高値圏にあるのは、ドルに対してだけではなく、長期的な通貨価値全般の下落に対するリスクヘッジと考えられる。リーマン・ショック以降、主要中央銀行により大量のマネーが市中に供給された(図表1)。さらに日本では、アベノミクスの一環としての日銀による量的・質的緩和の下、一時はFRBをはるかに凌駕するペースで流動性を膨張させている。さらに、新型コロナ禍で各中央銀行は改めてマネー供給を強化した。それに連動するかたちで、各国政府は歴史的な規模での財政策を実施している。
【図表1】QE1、QE2下におけるFRBの資産規模とドル・円レート
この財政・金融政策は、経済の落ち込みを抑止し、金融市場の信用リスクを低下させ、社会不安を緩和するのに大きく貢献したと言えるだろう。しかしながら、一方で出口戦略に大きな課題を残したことも間違いない。膨張した各国の財政・金融の精算に関して、通貨の切り下げ(=インフレは有力な選択肢の1つだ。今年に入って金の価格が大幅に上昇したのは、長期的な通貨価値の下落リスクに対するリスクヘッジの意味が大きいと考えられる。
金はそれ自体がキャッシュフローを生むわけではないが、希少性、用途の多様性、加工の容易性、ポータビリティにより、兌換制度が廃止された近代的通貨システムの下でもインフレに強い資産として市場における根強い人気を維持してきた。通貨価値下落の時代が到来しつつあるとすれば、資産の実質価値を保全する有力な手段と言えるだろう。過去100年間においても、金は米国のインフレ率を長期的に上回るパフォーマンスを示してきたのである(図表2)。
【図表2】金の価格と米国の消費者物価(1919年末=100)
ただし、それとドル基軸体制の信認とは必ずしも連動した話ではない。例えば中国国民の生活水準が大きく向上、世界最大の貿易収支赤字国になるのであれば話は別だ。しかしながら、将来、そうした事態が起こるとしても、実現には相当な時間を要するだろう。結局、ドル基軸体制は続き、日本経済は米国の為替政策に引き続き振り回される状況が続きかねない。そうしたリスクを考えれば、通貨価値下落のリスクが高まるなか、金への投資は理に適っているように思えてならない。