青木 周平
日立製作所
エグゼクティブストラテジスト
青木 周平

金融の「融」は「滞りなく流通する」という意味であるらしい(字のヘンは鼎、ツクリは動き回る湯気を虫に見立てたもの、という説がある)。英語のfinanceも、資金調達のことだと思っていたら、銀行サービスや、「マネーの流通」全般もfinanceに含まれるという。

マネーの流通とは(カネの貸借やモノの売買などに伴って)カネが人々や企業の間を点々と移動すること。そのマネーとは、モノやサービスの対価として「誰もがいつでも喜んで受け取るもの」だ。マネー残高の統計が現金と預金を合算して作られているように、今日マネーと言えば紙幣とコインと銀行預金だ。これらは支払の道具として使われるだけでなく、金銭的価値を保蔵しておく機能も持っている。

預金は「安全だが不便」な道具になった

紙幣のような道具を我々が喜んで受け取るのは、「次に自分が誰かに支払う時に、相手がその道具を間違いなく受け取ってくれる」と思うからだ。紙幣は背後にお国の信用が付いているから、そのまま持っていても安心。だから皆が喜んで受け取る。預金というマネーも、預かっている銀行が政府の監視下にあり、十分な資本を持ち、預けたカネを危険なことに投資しないから紙幣なみに安全だ。何より、預金はデジタル・データの形で存在するから、スマホ社会においては、紙幣やコインに比べ使い勝手が良い。世の中のマネー残高の8割以上を占める預金の割合は、現金を食う形で今後さらに高まるだろう。

だが、このことは支払いの道具としての預金の利用が増えていくこととイコールではない。マネーが持つ支払い手段としての機能を「マネーでないもの」に切り出す動きが強まっているからだ。具体的には「電子マネー」の広がりだ。預金もデジタル・データなので、電子マネーと呼べなくもないが、ここで言うのは預金以外のデジタルな支払い手段のこと。人々は預金で電子マネーを買い、これを銀行から見えないところで支払いに使う。電子マネーを受け取った店や人は、これを預金に
替えて価値を保蔵する。

現状、誰もが「電子マネーで給料や代金を受け取ってよい」と思うわけではないので、電子マネーは真のマネーではない(回数券に近い)。そのほとんどは、厳しい規制・監督を受けぬノンバンクが発行しているし、彼らが急に資金不足に陥った際に中央銀行からカネを調達する仕組みも存在しない。電子マネーは預金に比べ、安全性が低い。安全性が低いのに、人々が電子マネーを利用するのはなぜか。銀行が支払い手段としての預金を便利にする努力を怠ってきたことが大きな理由だ。

確かに、我々は安全だから預金を持ち、それを受け払いに使ってきた。しかし、「安全だが不便」になった預金は、金銭的価値の保蔵には使われても、受け払いには使われなくなる。代わって、「安全でないが便利」なノンバンクの電子マネーの利用が拡大すれば、電子マネー事業の行き詰まりによって先々大きな問題が生じる可能性がある。

技術進歩を活用して支払いに便利な預金へ

それだけではない。デジタル経済においては、自分の顧客に関する情報・データが利益の源泉になる。預金が支払いに利用されなくなれば、人々の経済活動の鏡である「支払い行動」のデータが銀行に入らなくなる。銀行の収益力・融資能力は低下し、金融インフラは弱体化する。銀行は支払いサービスを大きく改善して、「情報・データを使って儲ける」能力を高める必要がある。

気になるのは、安全と利便には「あっちが上がればこっちが下がる」という関係があることだ。支払いサービスを便利にすることで、預金の安全性は脅かされないか。この点だが、技術が一定なら「あっちが上がれば……」の関係にある安全と利便も、技術進歩を活用すれば、「どっちも高める」ことが可能だ。預金の安全性を維持しつつ、「どんな支払いサービスを実現すれば預金がもっと使われるか」を考えることが必要だ。