「金利」「為替」「株価指数」を柱に、金融デリバティブの総合取引所として着々と地歩を固めている東京金融取引所。代表取締役社長の太田省三氏に、「ホールセール専門の金利先物取引所」から「リテールを含む総合化」に舵を切った背景や今後の事業戦略を聞いた。
(聞き手:柴田哲也/取材日:2011年3月25日)

「くりっく365」が収益をけん引

東京金融取引所は1989年、「東京金融先物取引所」としてスタートしました。

太田 1970年代の米ドルの変動相場制への移行および金利の自由化により、価格変動リスクを回避するための手段として、金融の先物取引が米国シカゴで開発されました。

日本では1980年代以降の金利の自由化に伴い、円資産の本格的なリスクヘッジ手段への必要性が高まり、1989年に金融先物取引法が施行。それに基づき市場開設の免許を受けたのが東京金融先物取引所(現東京金融取引所)です。

設立15年目の2004年には株式会社に転換し、それまでの「ホールセール専門の金利先物取引所」から「リテールも含めた総合化」に舵を切ります。ちょうどその頃、外国為替証拠金取引(FX)が個人の新しい資産運用商品として急浮上していました。

太田 相対取引(OTC)のFXは盛り上がりを見せていた半面、一部の業者によるトラブルが社会問題化していました。FX市場に対する規制強化と合わせて、公的取引所による取引所取引も始めるべきとの意見が強まりました。

FXは、証券デリバティブではなく金融デリバティブの一種と位置付けられたため、当時、取引所取引を担えるのは東京金融先物取引所しかありませんでした。金融審議会からの提言を受け、当取引所の根拠規定である金融先物取引法の改正による規制導入を機に、公的取引所として健全なマーケットを創設するため、日本初の取引所為替証拠金取引「くりっく365」を上場しました。

さらに2010年11月には株価指数証拠金取引「くりっく株365」を上場しました。

太田 2007年9月に金融先物取引法と証券取引法が統合され、金融商品取引法(金商法)が施行されました。従来は、株式などの有価証券は証券取引、金融先物は金融取引所というようにすみ分けていましたが、金商法施行をきっかけにその垣根がなくなり、互いに上場できる商品が証券現物・先物から金融先物まであらゆる金融商品に拡大されました。

私の取引所の名称も、現在の東京金融取引所に変更し、金利と為替に加えて有価証券デリバティブ分野への参入をめざすこととしました。約3年間の準備期間を経て、2010年上場したのが株価指数証拠金取引「くりっく株365」です。

現在の東京金融取引所の事業は「金利」「為替」「株価指数」の3本柱で成り立っていますが、実質的に収益をけん引しているのは為替です。2010年度の一日平均取引量は、ユーロ円3カ月金利先物などの「金利先物等取引」が約4万6000枚(取引単位は1億円/1枚)に対し、「くりっく365」はおよそ10倍の約47万2000枚(主要通貨ペアは1万通貨単位/1枚)です。

太田 世界三大通貨の金利先物を上場する先物取引所としては、ドルはシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)、ユーロはロンドンのライフ(Liffe:2001年にユーロネクストがライフを買収し、現在はユーロネクスト・ライフ)、円は東京金融取引所であり、1990年代初めの取扱高は3取引所間で大きな差がありませんでした。

しかし、今ではユーロ円3カ月金利先物の取扱高は、ユーロドルの30分の1から40分の1に過ぎません。金利先物は中央銀行の金利政策に大きな影響を受けます。日本銀行の政策変更は緩慢で、金利改定は多くて年2回程度。長い間、超低金利が続き、先行きも見えないため、日本の金利市場はボラティリティがほとんどない状態が続いています。これでは金利ヘッジニーズが生まれない。

実は、東京金融先物取引所時代の1989年から2004年までの15年間のうち3分の2の決算は営業赤字でした。取引所は出来高払いなので取引量が拡大しないと手数料が増えず、ビジネスとして厳しい。ヘッジファンドなどのプレーヤーが少ないという要因もありますが、金利先物だけでは取引所としての経営が難しい状態だったのです。

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