川嵜 渉

川嵜 渉
三菱UFJ信託銀行株式会社
サステナブルインベストメント部 企画推進G
上級調査役(チーフ、グローバル政策エンゲージメント)

2004年から国際連合人間居住計画(国連ハビタット)アジア太平洋事務所、アフガニスタン事務所ナレッジマネジメント専門官(Knowledge Management)を経て、2015年より同本部ケニア・ナイロビにて勤務。その後、国連本部ニューヨークの国連事務局へ出向し、SDGsなどの国連アジェンダの採択や国連会議開催に携わったのち、国連世界都市フォーラムの事務局ヘッドを務める。2022年より、三菱UFJ信託銀行に入社。現在、サステナブルインベストメント部で、チーフ、グローバル政策エンゲージメントとして、MUFGアセットマネジメントの政策エンゲージメント業務全般を担当。
米国ミネソタ大学国際関係学部卒、英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス開発学修士課程修了。

Ⅰ.はじめに

すっかり世の中に浸透してきたSDGs(持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals)。この言葉に象徴されるように、地球環境・経済に配慮し、社会全体を長期的に持続させていこうというサステナビリティの考え方が、地球規模の大きなテーマとなっています。そして、我が国政府はSDGsの達成に向けた取り組みを加速化するとともに、新しい資本主義の下、誰ひとり取り残さない持続可能な経済社会の構築のため、資産運用立国実現プランをはじめとして、資産運用業やアセットオーナーシップの改革などの取り組みを実施しています。さらに、2030年以降も見据えた取り組み、いわゆるポストSDGsについても国際的に議論が進む中、サステナブルな社会や経済の実現に向けて、金融機関、投資家、民間企業、学術機関等の役割や期待は高まっています。

本稿では、今さら聞けない「SDGs」の意味と、その誕生経緯等を紹介します。更に、気候変動(環境)課題の歴史と道筋を追いながら、サステナブルな未来を創るために、一人ひとりが意識を高め、私たちを取り巻くサステナビリティ課題解決に多角的に取り組んでいく重要性について述べていきます。

筆者はこれまで20年近く国連の業務に従事し、アフガニスタン、ケニア、米国、英国、欧州、南米にて現地の視点に主眼を置いてグローバル課題の解決に取り組んできました。実際に見て、聞いて、感じた世界の社会課題をもとに、サステナビリティの精神、グローバル・アジェンダの舞台裏などお伝えできればと思います。

Ⅱ. 今さら聞けない「SDGs」

1.「SDGs」とはなにか? ~我ら共有の未来~

持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)とは、2015年の国連総会で採択された17の国際目標で、貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄や平和と公正など、私たちが直面するグローバルな課題を解決するために設定されています(図表1)。SDGsは相互に関連しており、2030年までに17の各目標とそれぞれに紐づいて設定されている169のターゲットを達成することが重要です。

ではなぜ、SDGsのような世界目標が掲げられたのでしょうか。歴史をさかのぼると、事の発端は産業革命にあります。産業機器の発明によって人間活動が急激に活発化し、経済や社会の基盤である「地球」の持続可能性が危ぶまれることになりました。どれだけ企業が利益を上げようとも、地球が破壊されてしまっては本末転倒です。

【図表1:持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals】
図表1:持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals
出典:国際連合広報センター

1987年に「環境と開発に関する世界委員会」、通称ブルントラント委員会(当時ノルウェーのブルントラント首相が委員長を務めた)が開催され、その報告書の中で「サステナビリティ:Sustainability」の言葉が多く謳われています。「我ら共有の未来:Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念が、サステナビリティとして、環境と開発を互いに反するものではなく共存し得るものとして捉え、環境保全を考慮した節度ある開発が重要であると示されています。それ以来、サステナビリティの概念はいくつもの変遷を経て、企業の社会・経済的利益や企業価値に関連する経営課題と認識されるようになってきたと思われます。この報告書の全文日本語訳が環境省のHPに掲載されていますので是非ご覧ください(環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)報告書 -1987年- 『Our Common Future(邦題:我ら共有の未来)』 概要(PDF) )。

さて、SDGsは突然作られたものなのでしょうか。「SDGs」を語る上で欠かせないのが、前身となる「MDGs(ミレニアム開発目標:Millennium Development Goals)」の存在です。2000年に採択された「国連ミレニアム宣言」と、1990年代の国際開発目標を統合したもので、「貧困・飢餓」「初等教育」「女性」「乳幼児」「妊産婦」「疾病」「環境」「連帯」の8つの目標を設け、2001年に策定し、加盟各国が2015年までにその達成に向け努力するという内容でした。(図表2)

また、2006年に国連で提唱された「責任投資原則」(PRI: Principles for Responsible Investment)によって、機関投資家が企業に投資をする際には財務情報だけでなく、環境や社会への責任も果たしているかという非財務情報を重視する流れができました。その後、非財務情報の開示が求められるようになり、国だけではなく投資を受ける企業、金融機関もSDGsを考慮せざるを得なくなったのです。

MDGsが国際社会における開発分野の羅針盤として、2015年までに、開発途上国における貧困撲滅など一定の成果を上げた一方で、未達成の目標や時代の移り変わりによる新たな課題に対応するべく定められたのがSDGsです。MDGsは先進国が開発途上国を支援する内容が中心で、開発途上国のための目標だったのに対して、SDGsは気候変動対策など先進国が取り組むべき課題を含んだ2030年までの国際的な目標となったのです。持続可能な社会を築くために国連が主導して設定したこれらの目標は、経済、環境、社会の課題を包括的に取り上げており、地球上の「誰ひとり取り残さない(leave no one behind)」ことを誓っています。先進国と開発途上国とが一緒に達成していくべき初めての国際目標を掲げたことがSDGsの特徴であり、世界に広まった理由なのかもしれません。

【図表2:ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)】
図表2:ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)
出典:国連ミレニアム開発目標報告(国連広報センター)

言うまでもありませんが、人間が地球に住めなければ企業も存在できません。そうであるならば、すべての国、人、企業も「地球の存続」を第一に考えることがSDGsの根本的な考え方です。厳密には健康や教育、ジェンダーなどのトピックも含まれており、本当に達成できれば今よりもっと効率的・効果的にサステナブルな社会を実現することができるのではないでしょうか。

2.「SDGs」の知られざる誕生経緯

世界全体が共有する危機感から生まれ、地球環境の課題や国際紛争、差別、貧困などの未解決な問題を改善し持続可能な未来を築いていくための世界目標であるSDGsですが、SDGsにはあまり知られていない誕生経緯があります。

(1)実は、SDGs誕生はビジネスに密接に関係していた?
環境意識の高い欧州では、地球と社会に優しい姿勢が企業のあるべき姿というのが一般的であり、欧州企業は世界で最もSDGsに注力していると言えます。その影響で欧州の政府も企業もサステナビリティ(非財務情報)に係る開示やタクソノミー(※1)等、インベストメントチェーン全体で先進的な取り組みをしています。また、多くの国際イニシアティブも欧州を中心に生まれ、活発に活動していることからも、社会課題解決への意識の高さが分かります。

SDGsは素晴らしい理念ですが、実現にはさまざまな課題があります。例えば、罰則規定がないため、国や企業によって取り組みにグラデーションが生じており、欧州では活発な一方、米国ではそこまで盛り上がっていません。

地球に優しい原料や再生可能エネルギーを使うことはコストアップになってしまうため、欧州企業だけが社会課題解決に取り組んでいる場合、欧州企業は米国や中国企業との競争で負けてしまう可能性が高くなります。そこで欧州企業は、自分たちだけが不利にならないよう、国連などに働きかけて国際標準としてSDGsの策定を推し進めました。

これは「equal footing」と呼ばれる経営戦略で、双方が対等の立場で競争が行えるように条件や基盤などを同一にする考え方です。つまりSDGsのような世界目標を掲げるのであれば、世界全体を共通のルール上に乗せる必要があったわけです。もちろん、SDGsは地球環境全体にとってポジティブな内容であり、競争優位性の観点だけが目的ではありません。それでも、SDGsの一面として、欧州企業がequal footingの考えをもとに推進しているというのも事実だと言えます。

※1 タクソノミーとは、一般的に「分類」と定義されるが、気候変動対応の文脈では、「環境面で持続可能な経済活動に該当するかを明確にするEU独自の分類基準」のことを指す

(2)17番目の謎

SDGsの17項目は、全て最初から設定されていたわけではありません。実際には、2015年に国連サミットで採択されましたが、SDGsを実行していく主体になる各国連機関はそれぞれの活動意義に応じた目標をSDGsに盛り込んでいき、最終的に16の目標を掲げました。しかし、個々の機関が各目標を個別に取り組んでいくだけで2030年までに世界目標を達成することができるのか、疑問視されていました。SDGsは、持続可能な開発に向けた国際的な取り組みとして、世界中の国々が協力して実行して達成することが重要視されていた中で、「パートナーシップ」の要素が欠けていたのです。

そこで、世界全体が一緒になって他国の問題も自国につながっていることを考慮して、SDGsに17番目の目標(SDG17)として「パートナーシップ」の項目が設定されました(Partnership for the Goals)(※2)。地球に生きるすべての人々が当事者意識を持ち、共同で取り組む必要があることが強調された世界目標となりました。総じて、SDGsは私たちが共通の目標に向かって協力するための道しるべでもあり、世界中の人々が参加できるように作られています。

持続可能な開発のための2030アジェンダ(行動計画)(※3)(Agenda 2030 for Sustainable Development)を成功に導くためには、17番目の目標で求められている各国政府、民間セクター、市民社会など包摂的なグローバル・パートナーシップを活性化していくことが必要です。

パートナーシップを進める上で、民間セクター、特に金融機関によるファイナンスへの期待は高まっており、数兆米ドルに上る民間資金による変革力をSDGsの実現に向けて動員し、活用するための対応が急がれるのは言うまでもありません。海外直接投資を含む長期投資は、特に開発途上国の主力部門で必要とされており、具体的な分野としてはエネルギー、インフラや輸送のほか、情報通信技術(ICT)等が挙げられています。

民間セクターにとって投資しやすい環境づくりのためにも、政府を中心とする公共セクターは明確な方向性を定める必要があるでしょう。共通の枠組みや規制等のような投資を可能にする誘因構造を改革することで、投資を促して持続可能な開発を補強する仕組みが必要です。現在、世界的に官民協働で取り組みが最も進んでいる地球課題として「気候変動」が挙げられます。

※2 Goal 17: Revitalize the global partnership for sustainable development
※3 「持続可能な開発のための2030アジェンダ」は2015年9月25日に、ニューヨーク・国連本部で開催された国連サミットで採択されたSDGsを中核とする行動目標

SDGsに定められた17項目の目標を見たときに、「気候変動」に関連する目標としてSDG13(Climate Action)があります。これは、あらゆる大陸のあらゆる国や地域、年齢、貧富の格差等を超えて、地球上に生きるすべての生き物、コミュニティ、そして経済活動に影響を与えうる「気候変動に具体的な対策を」進めていこうとする目標です。気候変動の影響は現在よりも将来において、さらに大きくなっていくと予測されています。早急に対策を取らなければ、世界の平均気温は21世紀全体を通じて上昇し続け、その上昇幅は今世紀中に産業革命前と比較して摂氏3度に達する公算が高くなっています。

SDGs全ての目標達成にも影響を及ぼし、最も大きな影響を受けるのは、最貧層と最も脆弱な立場にある人々でしょう。気候変動は国境に関係のないグローバルな課題であり、国際レベルでの調整を要する解決策と、開発途上国の低炭素経済への移行を支援するための国際協力をともに必要とする問題なのです。

SDGsができた背景には、技術の発明や経済発展による社会や環境の変化、戦争などを乗り越えて人権尊重の考えが広まったことなど、様々な人びとの営みや歴史があります。しかし、SDGsと環境問題の関係は突然現れたわけではありません。先に述べた、1987年開催の「環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)」の報告書「我ら共有の未来:Our Common Future」に、初めて「持続可能な開発:Sustainable Development」という言葉が「環境と開発」の会議で生まれます。「環境」と「開発」は切り離せない相互関係にあることがすでに認識されていたのです。

次章では、その気候変動に焦点を当て、その取り組みの変遷について述べて参ります。

Ⅲ.環境課題の原点

1.認識の時代 ~かけがえのない地球~

「社会課題の解決」の原点は、およそ今から半世紀前の1972年に遡ります。1972年6月、スウェーデンのストックホルムで「国連人間環境会議」(通称:ストックホルム会議)が開催され、世界113ヵ国が参加し、環境問題をテーマとした初めての世界的なハイレベル政府間会合が行われました。(図表3)

【図表3:国連人間環境会議報告書】
図表3:国連人間環境会議報告書
出典:国際連合図書
Report of the United Nations Conference on the Human Environment, Stockholm, 5-16 June 1972(PDF)

この会議の開催は、1968年12月の第23回国連総会におけるスウェーデンの主張を機に決定されたものです。具体的には、国境を越える大気汚染物質の移動によってスカンジナビア半島の森や湖が被害を受けていること(今日で言う酸性雨の問題)をスウェーデンが主張し、北欧諸国が置かれた状況をもとにして、地球規模での国際協力の必要性を訴えました。

他にも同会議が開催されるに至った背景はいくつもあります。例えば、1950年代、60年代の急速な経済発展による、排ガス、廃水、廃棄物の飛躍的な増大による大気や水という環境資源の限界の認識。また、人口、天然資源、環境資源など地球上のあらゆる要素が複雑微妙に相互依存し、有限かつ一体のものであるという認識。そして、開発途上国における人口増加、貧困、住宅整備、教育の不足、自然災害、工業の汚染や疫病のおそれといった環境問題が存在するという認識が高まってきたことにあります。

まさに、社会課題に対する認識が始まった時代であり、同時期にローマクラブ(※4)が発表した「成長の限界(The Limits to Growth)」で資源と地球の有限性に着目したように、地球という有限な世界の中での経済成長の行き着く先をひとつのモデルとして示して、地球上の成長は限界に達すると警鐘を鳴らした時代でもありました。

さて、この国連人間環境会議では、「かけがえのない地球(Only One Earth)」をテーマに、「人間環境宣言」や「行動計画」が採択され、それまで環境に関して世界共通の合意がなかったことに関して、画期的な機会となりました。ただ、国連人間環境宣言そのものは、国際条約ではなく、あくまでも宣言に留まるため掲げられた原則は国の権利や義務までには及びませんでした。しかしその後、多くの国際条約などの基本文書として認識される大切な宣言となっています。

※4 「地球の有限性」という共通の問題意識をもった世界各国の知識人で構成される民間団体。1968年ローマで初会合を開き、以後「成長の限界」(1972年)などの報告書を発表。

2.地球との約束 ~アジェンダ21~

地球サミット - 地球環境問題に関する世界的な関心の高まりを背景として、1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにおいて、持続可能な開発の実現のために環境と開発を統合することを目的に、「環境と開発に関する国連会議」(UNCED:United Nations Conference on Environment and Development) - が開催される事となります。これは、環境問題を初めて国際的な場で議論した「国連人間環境会議」(1972年)の20周年を記念するものでもありました。

地球サミットには、世界中のほとんどの国(約180ヵ国)が参加し、約100ヵ国の元首・首脳に加え、約10,000人に及ぶ政府代表団が出席したといわれています。地球サミットでは、人と国家の行動原則を定めた「環境と開発に関するリオ宣言」、詳細な行動計画である「アジェンダ21」及び「森林に関する原則声明」を採択しました。また、当時から交渉が行われていた「気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC:United Nations Framework Convention on Climate Change)」と「生物の多様性に関する条約」が署名のために開放され、それぞれ150ヵ国以上が署名するという成果を上げました。日本も気候変動枠組条約と生物多様性条約に署名を行い、他の諸国と共にこれらの条約に参加し、地球環境の保全に向けて努力していく方針を明らかにしました。

気候変動枠組条約には155ヵ国が署名しました。これにより、採択で大気中の二酸化炭素濃度を削減する国際的な枠組みが定められ、その後の京都議定書、そしてパリ協定という流れが形成されました。これが気候変動COP(締約国会議 Conference of the Partiesの略称)の誕生です。また、生物多様性の保全や生物多様性の構成要素の持続可能な利用、そして自然資源の利用から生じる利益の公正かつ衡平な配分を目的とした生物多様性条約も日本を含む168ヵ国が署名しました。これが生物多様性COPの始まりです。当時では生物多様性へ署名する国の方が多かったことが分かります。

これらの宣言、条約に基づく持続可能な開発を実施するための自主的行動計画を促すためのアジェンダ21も同時に採択され、その後、10年毎の地球サミットの中でも繰り返し確認され、現在でも各国の環境保護に向けた大きな政策コンセプトの柱となっています。また、アジェンダ21実施のために国連憲章第68条に基づき、「持続可能な開発委員会(CSD:Commission on Sustainable Development)」も設立されました。21世紀に向けて地球へのコミットメントを掲げた1992年でした。

1997年、世界各国の政府代表者が日本の京都に集まり、第3回目となる、国連気候変動枠組条約の締約国会議(COP3)を開催しました。この会議において採択されたのが、温暖化に対する国際的な取り組みのための「京都議定書」という国際条約です。そもそも、国連気候変動枠組条約は、温暖化問題に対する国際的な枠組みを定めるためのもので、原因となる温室効果ガスの削減については、非拘束的な約束があるのみで、各国に具体的な取り組みを求めるまでには発展しにくいものでした。

そこで、京都議定書は参加している先進国全体に対して、「温室効果ガスを2008年から2012年の間に、1990年比で約5%削減すること」を要求しており、国ごとにも温室効果ガス排出量の削減目標を定めました。そして、EU(欧州連合)は8%、アメリカ合衆国は7%、日本は6%の削減を約束しました。アメリカは後に京都議定書体制を脱退したため、この約束を破棄してしまいましたが、この削減目標は世界で初めてとなる取り決めとなり、各国が具体的な削減行動を義務づけられたという意味においても、国際社会が協力して温暖化に取り組む、極めて大切な一歩となりました。

一方、京都議定書では、開発途上国には削減義務を求めていませんでした。これは、気候変動枠組条約の「歴史的に排出してきた責任のある先進国が、最初に削減対策を行うべきである」という合意に基づいて、先進国が率先して対策をするべき、という考え方が反映されたものでした。京都議定書の採択の後、さらにその実施に関わる詳細なルールについての交渉が、2000年のCOP6で一度交渉が決裂したり、2001年3月にアメリカ合衆国が京都議定書体制からの離脱を宣言したり、京都議定書の危機が心配されたことがありました。しかし、2001年のCOP7でマラケシュ合意という京都議定書実施のルールが決まりました。

この後、先進国だけでなく、途上国においても、排出量を測り、削減策を検討するということが一般化していく過程において、世界で初めて温室効果ガスの排出量を国別で管理し、削減していく仕組みを作って地球へのコミットを促したという意味で、京都議定書の意義は大きかったと考えられます。

3.実行フェーズ ~誰ひとり取り残さない~

脱炭素社会へ向けた世界の取り組みが活発になった2020年代に入って、「パリ協定」という言葉をよく耳にします。このころから、気候変動対応が社会、生活、ビジネスにもたらす影響が出てきたのではないでしょうか。パリ協定とは、2015年にパリで開催された温室効果ガス削減に関する国際的取り決めを話し合う、COP21(国連気候変動枠組条約締約国会議)で合意された協定で、次のような世界共通の長期目標を掲げています。

1)世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2°Cより十分低く保ち、1.5°Cに抑える努力をする

2)そのため、できる限り早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトさせ、21世紀後半には、温室効果ガス排出量と(森林などによる)吸収量のバランスをとる

この国際的な枠組みの下、主要排出国が排出削減に取り組むよう国際社会を主導し、地球温暖化対策と経済成長の両立を目指していくことを世界全体で約束した画期的な協定となりました。特徴としては、京都議定書では先進国にのみ排出量削減の義務が課せられていましたが、パリ協定は開発途上国を含むすべての参加国と地域に2020年以降の温室効果ガス削減と抑制目標の努力を求めている枠組みであるというところです。

もうひとつの特徴は、京都議定書は先進国のみに定められたトップダウンであった一方で、パリ協定はボトムアップアプローチを採用したことで、各国に自主的な取り組みを促すアプローチが採用されたことです。実は、このアプローチは政府間交渉において、日本が提唱したものだったことをご存じでしょうか。これにより、各国の削減、抑制目標は、各国の国情を織り込み自主的に策定することが認められるようになったのです。そして、温室効果ガス削減・抑制目標実行のために、中長期目標として各国、地域でさまざまな政策が検討されて来ました。

しかし、パリ協定では、各国が削減目標を達成しなくても罰則がないために、削減目標を立てても実施されない可能性があります。削減実施状況の国際的な「見える化」をするために、各国は原則として共通のルールで排出量を算定し、国連に報告して、それを世界各国がお互いに検証し合うことになっています。それが「国が決定する貢献(NDC:Nationally Determined Contribution)」です。排出削減の実施状況が国連によって一目瞭然の見える化がなされれば、否応なく削減努力をしようというプレッシャーが働きます。この心理的な遵守の仕組みを作り出しているのがパリ協定の特徴とも言えます。

2015年 ‐ 国連創設の70周年に生まれたSDGs、それから5年後の2020年から、2030年に向けた残りの10年をどのように達成していくのか、という問いに応えるべく、2020年1月アントニオ・グテーレス国連事務総長は、私たちの世界にある四つの脅威(①国際平和と安全への危機、②気候変動危機、③政治のリーダーシップに対する信頼喪失、④デジタル技術の負の側面)を語りつつ(その後、新型コロナウイルス ‐COVID-19発生)、各国の政府、市民社会、民間企業、人々を巻き込んだ「行動の10年(Decade of Action)」を打ち出しました。

国連はSDGsとして掲げた17の目標の達成度を様々な形で数値化し、検証しています。具体的には、年に1度、SDGsの進捗を確認するための国際会議、「ハイレベル政治フォーラム(High-Level Political Forum)」を開催しています。毎年、重要課題として、「紛争」や「災害」などの背景もあり極度の貧困が固定化していることや国際・国内紛争に加え、最も大きな課題としては気候変動に歯止めがかかっていないことが挙げられています。温暖化に伴い、海面上昇、土地の劣化や動植物の絶滅の危機などが深刻化しており、早急の対応が必要なことは明らかです。

今、まさに私たちは「行動の10年」に位置しており、世界各地で進展がみられる一方で、2030年までにSDGsを達成するには、取り組みのスピードを速め、規模を拡大していく必要があり、人々と地球に資する野心的なアクションを世界全体で起こしていかなければなりません。

ここで筆者が国連の業務に従事していた際の経験をご紹介します。それは国連で初めて海外赴任したアフガニスタンに来て間もない時でした。

ある女性から「子ども8人を残して、私の夫は戦死した」と言われた事を鮮明に覚えています。夫の死後、彼女と8人の子どもはパキスタンのペシャワールに難民として移住。2003年に故郷のジャララバード(アフガニスタン東部の都市)に戻ると自宅も完全に崩壊していましたが、もちろん建て直すお金はない状況とのことでした。

長年にわたる紛争により、国内の7割以上のインフラが破壊され、人口の4割以上が避難民となり、国全体が無政府状態と化して、国土の大半を占める農村部においては県レベルの行政組織もない状況でありました。そんな情勢の中で、筆者は居住環境改善に従事し、紛争後の帰還難民や現地住民との協議を通じ、被災したコミュニティの復興を支援してアフガニスタンの持続可能な社会実現に向けて奮闘していました。それはもう15年以上も前のことになります。

筆者撮影(アフガニスタン・カブール市街地)
筆者撮影(アフガニスタン・カブール市街地)

私たちが想像するサステナビリティは、気候変動や自然・生物多様性の損失など地球規模、あるいは地域社会における課題かもしれません。しかし、世界には家族が安心して暮らせる家すらなく、普通の生活ができない人たちもいます。世界か、地域か、個人か、規模は違えど、そこにはそれぞれのサステナビリティ課題があると思います。

SDGsには「誰ひとり取り残さない」という決意が明示されていますが、その誰ひとり取り残さない世界を実現するという、誰もが理想とする理念を分かりやすい言葉で明確に打ち出しているSDGsのインパクトは大きいと考えます。SDGsでは、環境保全と経済成長と並んで、社会的包摂を3つの柱の一つとして理念を端的に表しており、国家間の格差だけでなく、各国内においての格差・貧困の問題を考慮した「誰ひとり取り残さない」社会の実現を目指しているものだと考えます。

私の夢、それはいつの日か、アフガニスタンを観光客として訪れること。素晴らしい歴史的建造物や、美しい自然がたくさんある国ですのでぜひ世界の方々にも見て、感じて頂きたい。そのためにはまず、安全な国、持続可能な社会づくりの実現が不可欠です。この夢は、アフガニスタンだけではなく地球規模のサステナビリティ課題に向き合う自分にとって、大きなモチベーションになっています。

筆者撮影(アフガニスタン・バーミヤン市、左:バーミヤン渓谷の大仏跡、右:バンディアミール湖)
筆者撮影(アフガニスタン・バーミヤン市、左:バーミヤン渓谷の大仏跡、右:バンディアミール湖)

4.そしてインパクト創出へ ~ 私たちの共通の課題 ~

国連の提唱する「行動の10年」に入りましたが、予期せぬ新型コロナウイルスの発生によってそれまで前進してきたSDGsの達成に向けた進捗が後退、国も民間も含めてこれまで以上に具体的な行動や情報開示を促進しSDGs達成を目指していくことが求められています。

筆者は前職で、「貧困の終焉 ‐ 2025年までに世界を変える」の著者で知られる米コロンビア大学の経済学者ジェフリー・サックス氏(Jeffrey D. Sachs)と仕事をする機会がありました。私たちが取り組んでいくサステナビリティ課題解決のインパクト創出のために、彼は、「今までの、より良い復興(recovery, rehabilitation and reconstruction)を目指すという意味の[ビルド・バック・ベター(build back better)]ではなく、より良い復興を遂げ、SDGsの達成に向けて社会を前進させる[ビルド・フォワード・ベター(build forward better)]を実現するため」の行動や開示の必要性を語り、SDGsが掲げる課題を解決する大規模な投資とそれを可能にする資金供給が重要になることを強調していました。

2021年9月に世界共通の新しいビジョン、「私たちの共通の課題(Our Common Agenda)」の報告書が、多くの専門家、加盟国、若年層、市民社会、民間、国連システムやその他多くの幅広いステークホルダーと意見を交わした後に、国連から発表されました。私たちに共通の課題が、SDGsを含む既存合意のグローバル・アジェンダの履行を加速させるために考えられたアジェンダ(行動計画)である理由は、何よりも私たち自身に託されたということ。サックス氏が言うbuild forward betterな、環境に配慮したより良い未来に向けたポジティブなインパクトを創出していけるかどうかは、これから私たちがどのような行動を選択するかにかかっていると言えます。

Ⅳ.終わりに

近年、米国を中心に先鋭化している「反ESG」の動きを見聞きすることが多いかもしれません。反ESGは脱炭素の流れに対する揺り戻しで、投資先のESG、特にE(環境)の取り組みを重視して投資対象を選別することへの反発の動きと言えます。

環境や社会問題への取り組みを重視する「ESG」(Environmental, Social, Governance: 環境・社会・企業統治)を、日本でも投資や企業の経営方針に取り入れる動きが進んでいますが、米国では、脱炭素や多様性の動きに逆行する「反ESG」が、特に今年の大統領選でも主要な争点の一つにもなり、党派対立の火種にもなっています。反ESGの姿勢として、資産運用会社は「金銭的要素にのみ基づいて投資先を選定すべき」「投資先から化石燃料産業を排除するべきではない」という主張があり、影響は国外にも飛び火し日本企業にも波及しています。

ただ、反ESGなどの動きで一時的にサステナビリティ促進への流れが停滞することはあっても、今後2030年、2050年に向かう私たちのサステナビリティのベクトルは間違いなく前進することだと思います。なぜなら、米国をはじめとする一時的な政治的議論よりも気候変動や自然・生物多様性の損失といった地球規模の緊急事態に危機感を持って対処していく必要があるからです。そのためには、根本的かつ緊急の協調が大切であり、今後の私たちのポストSDGsへの未来図につなげる必要があります。

SDGsはこれまでにない特徴と意義をもったグローバルな共通目標ですが、2030年以降のポストSDGsの世界を考えた時に、どのような観点が重要になってくるのでしょうか。ポストSDGsにおいて、多くの専門家やステークホルダーが既に議論を開始しており、今年9月に国連が総会と一緒に「未来サミット(Summit of the Future)」を開催します。テーマは「私たちの共通の課題(Our Common Agenda)」、国連事務総長はすでに行動志向の「未来のための協定(Pact for the Future)」をまとめ、11の政策概要(※5)を発表し、議論は進んでいく方向です。

先述の1987年の「環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)」(図表2参照)の「我ら共有の未来(Our Common Future)」報告書以来、「サステナビリティ」の概念はいくつも変遷を経てきましたが、根本的な環境と開発は互いに反するものではなく「共存」し得るものという認識は、全世界に浸透して来ていると感じています。

※5 国連広報センター OUR COMMON AGENDA Report of the Secretary-General(PDF)

ポストSDGsでは、「共存」の認識からさまざまな次元における「共生」への努力が必要な時代がやってくるのではないかと考えます。地球規模の社会課題に対しての連帯の必要性についても、これからはすべての個人の尊厳を尊重しながら、異なる宗教、人種、民族など、自然や生物がいかにして共存し共生していくかという観点が、より一層切実となってくると思います。ただ、ともに共存するだけではなく、異なる属性の人、自然、生物、そして地球が相互に作用し、助け合いながら生きる「共生」するための努力がより強く求められて来るのではないでしょうか。

ポストSDGsとして、深刻化している環境・気候変動問題などを解決していくために、国境を越えた人類益と地球益の調和に向けて、地球市民(グローバル・シティズン:global citizen)として共有できる地球目標を掲げ、全員で協力して取り組んで行けることを願うばかりです。

(2024年7月25日 記)

※本稿中で述べた意見、考察等は、筆者の個人的な見解であり、筆者が所属する組織の公式見解ではない

【参考文献】
・環境省より日本語版 『Our Common Future(邦題:我ら共有の未来)』概要(PDF)
・国連ミレニアム開発目標報告(国連広報センター)
・国際連合図書(PDF)
Report of the United Nations Conference on the Human Environment, Stockholm, 5-16 June 1972
Report of the World Commission on Environment and Development : note / by the Secretary-General
Goal 17: Revitalize the global partnership for sustainable development

本記事は三菱UFJ信託銀行が公開する「資産運用情報」の転載記事です。

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