日銀内部ではYCC終了を画策中?

藤代 宏一
第一生命経済研究所 
主任エコノミスト
藤代 宏一(ふじしろ・こういち)
2005年4月 第一生命保険入社。2008年4月 みずほ証券出向。2010年4月 第一生命経済研究所出向。2010年7月 内閣府経済財政分析担当にて2年間経済財政白書の執筆、月例経済報告の作成を担当。2012年7月 副主任エコノミストを経て、その後第一生命保険より転籍。担当は、金融市場全般。日本証券アナリスト協会検定会員(CMA)、2018年 参議院予算委員会調査室客員調査員

筆者は2023年4月の黒田東彦総裁の任期満了に向けて、YCC(イールドカーブ・コントロール)を主軸とする現行の金融緩和策の修正機運が高まっていくと予想する。現在、世界的な金融政策の潮流は明確な引き締め方向にあり、日銀がそうした流れを好機と捉えて便乗する可能性は否定できない。

黒田総裁の任期満了を約1年後に控え、日銀内部では金融政策を「元の形」に戻す計画を既に画策中かもしれない。ここでいう元の形とは、翌日物金利のコントロールを基本として必要時のみ量的緩和を実施する金融政策。すなわちマイナス金利撤回を含むイールドカーブコントロール政策の終了である。

金融政策の行方を考えるうえで、円安や原油価格上昇といった輸入物価上昇要因の重要性が増してきている。特に円安は金融緩和の副作用と一部で認識されるほどに成り下がっており、政策修正を促す要因になりつつあるように思える。その意味において2022年2月10日に通知した「指値オペ(公開市場操作)」は重要な意味を持つ。

2月10日に日本の10年金利は0.231%まで上昇し、2016年1月29日のマイナス金利導入決定直前の水準に比肩したことから、日銀は10日の夕刻、3連休明けの14日に指値オペを実施することを通知し、0.25%を超える金利上昇圧力を封じ込める構えをみせた(ここで言う指値オペとは、日銀が10年物国債を0.25%の利回りで無制限に買い上げる措置)。

日銀は2016年9月より翌日物金利をマイナス0.1%、10年物金利を「0%程度」に据え置くイールドカーブコントロール政策を実施しており、10年金利の「程度」については、現在その上限が0.25%であるとされている。この指値オペによって10年金利の上限が0.25%であることが市場参加者に再認識された。

ここで想起されるのは日米金利差の拡大観測を通じた円安であろう。為替は内外金利差のみで決定されるものではないが、短期的には「日米金利差拡大→円安」といった反応が起きやすいのは事実である。過去、FED(米連邦準備制度)の利上げ観測などから米金利が上昇基調を強める場面において、ドル円は日米金利差拡大に対して敏感に反応した経緯がある。

今回もそうなるかは不明だが、仮に円安トレンドが強まった場合は日銀の金融政策に一定の注目が集まるだろう。円安が続く下でガソリン、日用品、加工食品など生活に身近なモノの値上げが相次ぎ、消費者の体感物価が著しく上昇すれば、消費者マインドが冷え込む蓋然性は高い。輸入物価上昇によって個人消費に悪影響を与える事態となれば、なぜ日銀は円安政策を続けるのかとの批判が起きても不思議ではない。一般に内外金利差の拡大を促すイールドカーブコントロール政策は円安政策と理解されている。

金融政策の修正の根拠に持続的な物価上昇は必要なし

では、なぜ円安はここまで不人気になったのだろう。それは取りも直さず賃金上昇に寄与しなかったことが大きい。アベノミクス以降の円安によって企業収益は著しく増加し株価も上昇したが、それをよそに企業の賃上げスタンスに変化がみられず、労働者(消費者)が割を食う構図にある。特に2020年以降は新型コロナウイルス禍で所得環境が悪化するなか、エネルギーや食料品価格の上昇に直面して、消費者の実質的な所得が減少しつつある。「誰のための円安か」という疑念が湧いてくるのは自然な流れと考えられる。

悪い円安論が盛り上がっていることを察してか、日銀は円安のプラス効果を強調する。2022年1月の展望レポートでは「BOX」に円安効果を定量的に示す分析が記載されていた。当該分析によれば「円安による財輸出数量の押し上げ効果は、近年低下している」としつつも、円安は「円ベースでみた財輸出額の増加を通じた国内企業収益の増加」や「海外からの所得のネット受取額の円換算値でみた増加」などを通じてプラスの影響をおよぼすとされている。

その上で「実質実効為替レートが10%円安にシフトすればGDP(国内総生産)を年間プラス0.8%押し上げる効果がある」と結論付けられていた。また黒田総裁も「円安が全体として経済にプラスに作用しているという基本的な構図に変化はない」、「現状、悪い円安とは考えていない」と1月18日の金融政策決定会合後の記者会見で発言した。

なお展望レポートに限らず、金融システムレポートなど日銀が定期的に公表する刊行物には、いわゆる本文のほかにBOXが設けられており、そこに日銀の「本音」や「裏の政策メッセージ」が記載されることが多い。今回の円安を強調するBOXは悪い円安論を打ち消そうとする意図があるように思えた。そう感じたのは筆者だけではないはずだ。日銀は「円安悪論」が盛り上がっている現状を心地良く感じていないのだろう。

そうした日銀の心配(?)をよそに、実質実効為替レートの低下は止まらない。海外とのインフレ率格差を加味した実質実効レートは50年ぶりの低水準に落ち込み、円の購買力低下を浮き彫りにしている。良くも悪くも世界のインフレから取り残されている日本は、海外とのインフレ率格差が拡大傾向にあるため、今後ドル円が横ばい圏内で推移したとしても“見えない円安”は続き、その間、円の購買力は一層低下する。安いニッポンの安い円といったところか。

図表 日本円の実質実効為替レート

そこにウクライナ・ロシア情勢の悪化を受けた一次産品価格の上昇が加わる。WTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)原油先物は一時120ドルを突破した。穀物価格も上昇基調を強めており、ガソリン代、食料品の高止まりは必至の情勢である。輸入インフレの加速が見込まれるなか、「2022年10月にマイナス金利を撤回、10年金利の上限を0.25%から0.5%へ引き上げる」と予想する機関も出てきた 。10月はさすがに急進的過ぎるとの印象を受けたが、やや期間を拡張すれば十分に起こり得る政策修正と筆者は考えている。

筆者が想定するマイナス金利撤回までの大きな順序は、①長期金利操作の対象年限短縮(10年→5年)、②長期金利操作の終了、③短期金利の引き上げである。2023年4月の黒田総裁の任期満了を見据えて、早ければ2022年度中にも①に向けた地ならしを始めるのではないか。

では、仮にYCC修正に踏み切るとしたら、日銀はどう説明するのか。それは「政策修正に金融引き締めの意図はない。むしろマイナス金利を撤回したり、操作対象年限を短縮したりするほうが、全体として緩和効果が高まると判断した」というこれまでの論法を踏襲するだろう。ETF(上場投資信託)の買い入れ基準厳格化を決定した2021年3月19日の金融政策決定会合後の総裁記者会見でさえ、黒田総裁は「ETFの買い入れを減らそうとか、あるいは出口とか、そういうことを考えているわけでは全くありません」、「むしろ今後とも、必要に応じて十分なETF買い入れを行う、あるいは行えるように持続性と機動性を強化したということです」と説明した経緯がある。

食料、エネルギーを除いた物価が上がらないのに、どうして政策金利を引き上げる方向に動かすのか? という当然の疑問が沸いてくるだろうが、それは日銀が金融引き締めではないと言えばそれまでだろう。「政策金利引き上げは金融緩和の強化です」という説明すら考えられる。端的にいえば、金融政策の修正の根拠に持続的な物価上昇など必要ないということだ。