2015年にGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)がPRI(国連責任投資原則)に署名したことを皮切りに、日本でも「責任ある投資」が定着しつつある。一見すれば歓迎すべきこの流れに潜む、事業会社の苦悩とチャンスについて説明する。

  • 日本でも責任投資が定着。投資家が社会のESG 推進役を担う
  • 社会課題解決は本来政府が主導すべきで、事業会社は「板挟み」
  • 突破口はESGと財務パフォーマンスのベクトルの一致

「外部性」を考慮すれば投資家主導は不自然

伊藤 彰敏
一橋大学大学院
経営管理研究科
教授 伊藤 彰敏先生
いとう・あきとし
東京大学経済学部卒、慶応義塾大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)でM BA 取得、ウェスターン・オンタリオ大学Ph.D.(経営学博士)。国際大学国際経営学研究科助教授、レジャイナ大学(カナダ)助教授、筑波大学准教授を経て現職

「持続可能性」を指す「サスティナビリティ」という単語が21世紀を代表するキーワードになって久しい。環境問題意識の高まりがけん引する形でESG(環境・社会・企業統治)やSDGs(持続可能な開発目標)が社会で広く意識されるようになったが、昨今では金融の世界でも一大テーマとなりつつある。

そして現在、社会的な要請もあり、ようやく日本でも「責任ある投資」が積極的に喧伝されるフェーズに突入したと考えている。大株主でもある運用会社やファンドなどが事業会社と対話(エンゲージメント)を重ね、ESGやSDGs達成について一丸となって邁進(まいしん)する光景はもはや珍しいものではない。

こうした取り組みは歓迎すべきものかもしれない。しかし経済学者としては違和感を覚えてしまう。なぜなら、経済学的な概念である「外部性」を考慮すれば、こうした環境問題や社会課題の解決は、投資家ではなく政府が主導するのが本来の構図だと考えるからだ(図表1)。

図表

「外部性」は大学の経済学の授業などで聞き覚えのある方がいるかもしれないが、ここでの議論をかいつまんで言えば、「利益獲得を目的とした民間企業には、公共サービスの提供は限界がある」というものである。

例えば、民間企業はボランティアで道路の1本くらいは整備してくれるかもしれないが、自分の会社だけの利益にならないにも関わらず、「全国の道路をボランティアで整備しろ」と言われてもインセンティブが無く投げ出してしまうだろう。だが、ESGなど社会全体に関わる問題の解決を投資家が私的な利益追求の中で行っている構図は、「全国の道路整備をボランティアで」の例と同じ状況といえる。

もちろんサスティナビリティと一言で言っても、細かく見れば課題は環境、労働、ジェンダー、経済格差……と多岐にわたる。そのすべてを政府の直接介入で解決するのは現実的でないが、せめて事業会社へ努力義務を負わせる枠組みを提示などはすべきであろう。

ただし、政治的な力学であったり、国際協調の必要な課題に関しては地政学的な圧力も加わったりして、現状では政府に期待するのは難しいのも現実であると考える。それゆえ、外部性の観点で望ましい状況ではないにしろ、投資家や国際的にビジネス展開を行う大企業にその責任が一任されてしまっているのだ。

ESG対応から成長喚起する土台の構築がまったく無い

ここでもう1つ、不都合な真実がある。前述の関係図では現状、投資家が事業会社に要請をする形でESGやSDGs達成を進めている。この構図において、投資家とその要請に応えようとする事業会社をつなぐのが「ESGレーティング」だ。

しかしこのESGレーティングは、計測の難しさもさることながら、そもそも概念自体があやふやな状態だ。近年でも様々な実証研究やレポートが学術機関や民間のリサーチから出されているが、投資家のリターンの源泉として直接活用が期待できるものではないことが示唆されている(図表2)。

図表

注目したいのは、このESGレーティングと事業会社の財務パフォーマンスにはほとんど相関がないことが示唆されているという点だ。これはつまり、事業会社側ではESGと財務パフォーマンスのベクトルが全く違う方向を向いているという証でもある。投資家からESGやSDGs 達成についてプレッシャーをかけられる際、事業会社では「利益率が落ちてしまうのではないか」と不安を抱えながら取り組んでいる可能性もあるということだ。

サスティナビリティは投資家目線だと、株式のグロース銘柄のように将来的に著しい成長を期待する分野だ。しかし足元では、その成長のための基盤が整備されているとは言い難い。これも政府のコーディネートが上手くいっていない証左だろう。

経営立て直しを経た成功例もコロナ禍の今が変革のチャンス

前述の構図の中で事業会社は、株主である投資家の要請、そして社会の声であるサスティナビリティに対応しなければ企業責任も問われる時代になっている。そこで、この「板挟み」状態にある事業会社が取り組むべき方向性が、イノベーションを引き起こすことで「ESGと財務パフォーマンスのベクトルをなんとかして一致させる」ことではないかと考えている。

現実にベクトルを一致させるのはそうそう容易ではない。強力なリーダーシップに基づく相当の組織改革と、併せて技術的なイノベーションが必須になる。それでもなんとかイノベーションを達成した先には、将来的に一層の拡大が見込まれる巨大な未開拓市場が待っていることは明らかだ。

こうした事例の成功例として挙げられるのが、グローバルで生活用品を販売するユニリーバだ。同社は2008年のリーマン・ショックの際、傾いた経営を立て直す、ある意味ショック療法的な措置としてサスティナビリティを経営の中心に据え、実益にESGへの取り組みが還元する仕組みを構築した。

例えば同社では、主に新興国で展開するサプライチェーンにおけるESG向上などに取り組んでいる。これはもちろんサスティナビリティの観点から見ても望ましい取り組みではあるが、経営的に見れば、質の高い製品を生産するのに欠かせない「農家の囲い込み」と捉えることもできる。さらに同社はこうした取り組みによって、現地の行政機関やNGO(非政府組織)との間に良好な関係構築が可能になり、円滑にビジネスを展開しやすくなる。こうした結果、ESGへの取り組みが企業の利益につながることとなり、同社の業績は回復基調に転じることになったのだ。

ユニリーバの例もそうだが、大きな変革やイノベーション創出には、意外に経済ショックなどのイベントが重要になる。新型コロナウイルス感染拡大に社会・経済が大きく揺さぶられる昨今、変革のチャンスは目の前にあるはずだ。

まだ日本では、ESGと財務パフォーマンスのベクトルを一致させることに成功した目立った例は見かけない。だが、仮に成功したとすれば、今後政府など行政が企業にESGを重視した経営の指針を作成する際、さらには事業会社への何らかの規制を検討する際に、自社の取り組みを基準にすることも考えられる。そうなった場合、「規制より速く」走れた事業会社には、優位性という点でも美味しい果実が待っていると考えていいだろう。