聞き書き「年金運用30年」 【第6話】「これからはPE」、社員14人の運用会社へ〜生き字引・田中敬久のよもやま話〜
聞き書きのお相手、田中敬久さんは2012年4月に富士通企業年金基金を「卒業」しました。しかし、まだ61歳。年金運用に関わり続けたいと考え、企業年金とは表裏の関係とも言うべき運用会社に転職したのです。新天地はニューバーガー・バーマン。米国が本社で、日本法人は当時、社員わずか14人。社員数万人の巨大企業からの転身の理由は。そして、どんな活動をされたのか。まずは「転職前夜」のお話から。

ほとんど「トレーダー」の常務理事
実は、前回の【第5話】までで聞き漏らしたことがありました。それは富士通企業年金基金の常務理事としての「日常」です。どんな仕事ぶりだったのですか。
田中 はっきり言って、相当変わっていたと思います。
と言いますと。
田中 まず、資産のリバランスの頻度かな。大半の企業年金は四半期ごとか、多くても月次ですよね。富士通企業年金基金は日次でした。
それは凄い。しかしなぜ、そんなことが必要だったのですか。
田中 これは【第4話】で申し上げたことですが、当時の富士通の年金は積立金額が不足しており、CFO(財務最高責任者)が私に「儲けろ」と指示していました。しかし、信託銀行や運用会社は日次報告に対応してもらえない。そこで私は情報端末を基金に導入して、一日中、マーケットや株価の動向をチェックし、証券取引の場中でも売り買いの指示を出していました。運用会社の人などとランチをしていても、しょっちゅう電話がかかってくる。「まるでトレーダーですね」と言われていました。
よく総幹事が対応してくれましたね。
田中 実は大変だったのです。総幹事は信託銀行でしたが、「こんなことを要求してくる企業年金はいない。当行内部での説明責任を果たすためにも、富士通の機関決定を踏んでほしい」と言われました。しかし、こういった手続きよりも、もっと重大なことがあったのです。
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