聞き書き「年金運用30年」 【第7話】「年金人材」育てた勉強会、100回目指す〜生き字引・田中敬久のよもやま話【最終回】〜
富士通企業年金基金から米運用会社ニューバーガー・バーマン。年金運用の現場に30年立ち会ってきた田中敬久さんの聞き書きシリーズも第7話。今回が最終回です。田中さんは2026年2月、ニューバーガーを「卒業」しました。しかし今も、企業年金や学校法人の年金運用専門家たちと年4回ほど会合を持っています。富士通時代に始めた業界横断的な勉強会が70回を超え、田中さんは「100回まで続ける」と意気軒昂です。

ニューバーガー退社
2026年2月末、75歳でニューバーガー・バーマンを退社されました。
田中 61歳で入社し、最初は65歳ぐらいまでのつもりでした。将棋や麻雀、ゴルフなどやりたいことが色々あったので、「フルタイム」も敬遠。なので大平亮社長と相談して、週4回勤務からスタート。0.5日ずつ減らしていき、最終的には「ゼロ」へフェードアウトする算段でした。しかし、週3回になった時、社長から「田中さん、週7日のうち4日休んでいます。これ以上減らすのは休み過ぎ」と言われました。以来、退社までそのペースが続きました。では、いつまで働くか。退職の1年前に社長と話をして、「後期高齢者となる75歳を区切りに」で合意。その通り実行したわけです。
「難攻不落」の新規先を受注、大学も開拓
いくら一般の社員とは立場が違うと言っても、結構気ままな勤務状況だったのは。よく「無理」が通りましたね。
田中 あまり自慢になってはいけないけれど、やはりお客さんからの注文を取った実績だと思います。一番最初の頃、ニューバーガーの営業担当者が何度通っても「岩盤」のように跳ね返されて受注できなかった先を受託しました。こんなこともあり、「田中は使える」となったのではないでしょうか。
大学も「未開拓ゾーン」だったそうですね。
田中 ええ。この方面も各地へ出張するなど、他の外資系と比べて結構早い段階から販路の拡大に努めました。結局、学校法人を9大学開拓したことになります。
一番の「財産」は勉強会
冒頭の「卒業写真」からも、この間の田中さんの貢献ぶりが伝わってくるようです。ところで、富士通企業年金基金とニューバーガー・バーマンの合計30年を振り返った時、一番の「財産」は何ですか。
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