ESG(環境・社会・企業統治)投資という世界的な潮流は、日本企業の情報開示や会計処理にも大きな影響を及ぼしている。本連載では、企業の健康経営とハラスメント対策に焦点を当てつつ、運用担当者が知っておきたいESG会計を6回シリーズで解説。企業関係者のほか年金基金など機関投資家もぜひ参考にしていただきたい。第1回のテーマは「人件費」だ。

ESG会計では仕分けの採用基準がカギとなる

辰巳憲一
学習院大学名誉教授
辰巳憲一
1969年大阪大学経済学部、1975年米国ペンシルベニア大学大学院卒業。学習院大学教授、London School of Economics客員研究員、民間会社監査役などを経て現在、学習院大学名誉教授など。投資戦略、ニューテクノロジーと金融・証券市場を中心とした著書・論文多数

ESG会計では、ESG活動への支出とその成果を財務諸表に記載する方法を展開する。ESG活動の成果は、長期にわたることが多く、また非財務で無形資産になることが多い。このようなESG会計は無形資産会計でもある。

健康経営とハラスメント対策といっても、それらが企業の生産性の向上につながり、企業利益の増加になるという視点が重要になる。ESG会計では、伝統にのっとりながら妥当な仕分け方法を提案し、それが採用されていない場合にはどういう点に注目するべきかを考察する。

【図表】ESG会計の期待、疑問と課題(それらの一部)

図表

金銭的な価値だけに注目していては、企業実態を正しく評価できない時代に

最近のESG会計論議の紹介から始めよう。環境や社会問題に対して既存の財務諸表は、オフバランスの取り扱いで、その損益を捨象しており、外部の第三者から見れば企業の実態と価値は分離したままである。

経済活動が複雑で多面的になり、金銭的な価値だけに注目していては企業活動が生み出す富や豊かさを評価できない時代になったという一面もあるが、放置したままでは許されない。

人件費は利益を圧迫する単なるコストではなく、将来の価値につながる人的資産

ESGのS(社会)の論点の一つとして人件費が取り上げられ、社員を人的資産と捉え、人件費(の一部)を貸借対照表に計上しようとする会計上の提唱がなされるようになっている。この考えを洗練させる試みの1つには米国の大学教授らが進めるインパクト加重会計イニシアチブ(IWAI)があり、積極的な新聞報道などによってよく知られている。

社会的に最低限必要で公正と考えられる水準を上回る部分の給与は、従業員の生活水準の改善や満足度の向上に結びつきやすい。したがって、費用ではなく社会的な価値の創造と考えるべきではないかという考えだ。

人件費つまり給与の多くは、確かに食費として食い尽くされ住居費として使われる。しかしながら、それは健康維持と快適生活に費やされ、社員の身体になり、精神が癒され、頭脳に残る。社員の活動が技術やノウハウ、さらに良好なメンタルと言われるものに変換される機能を高める。

人件費は将来の価値につながる人材投資であり、利益を圧迫する単なるコストではない。このような人件費を削って目先の利益を積み増しても、長期的には企業の潜在能力を損なうことになる。社員を資産というよりコストと意識するようなネガティブな捉え方ではスキルの蓄積も遅れる。

年金、生保などの機関投資家は、株式や社債の投資先企業にESGに向けた取り組みを促すとともに、健康増進サービスの提供や、それに係る人材の育成を強化するエンゲイジメントに取り組む必要がある。