円安続くドル円相場の行方を占う 購買力平価からの「83%もの乖離」が日本のハイパーインフレを招く恐れ
円の独歩安トレンドは、なかなか解消される気配を見せない。過去の事例を見れば、従来の目立った円安基調は国際的な物価のアンバランスさを調整する背景があったとされるが、足元のドル円市場はそれとは異なるドライバーで動いているように見える。筆者はその背後に、日本で物価が激しく高騰するハイパーインフレのリスクを垣間見てしまう。(記事内容は2024年8月1日時点)
年初来の円独歩安が急激に調整された7月の外為市場
ドル、ユーロ、ポンド(以下主要3通貨)は円に対して、2024年3月上旬には年初比5~6%程度上昇した。欧米とわが国の間の大幅な金利差がその主因である。
ただ、それ以降、Fed(米連邦準備制度)が米国のインフレ鈍化を背景に本年中複数回の利下げを実施するとの観測から、主要3通貨は円に対して一時、年初比4~5%程度まで下落。しかし、間もなく、根強い米国のインフレを背景に「Fedの利上げは年内あっても1回」との見方が主流となり、円の独歩安が戻ってきた。
主要3通貨は、2024年4月下旬に円に対して年初比8~11%程度まで急騰し、わが国財務省は10兆円の円買い介入を実施した。ただ、介入の効果は一時的で、間もなく円は下落トレンドに復帰、7月上旬に主要3通貨は円に対して年初比12~16%まで急騰する。これ受けて、わが国財務省は、再び6兆円の円買い介入を実施した。
その後、Fed による3024年9月利下げが視野に入り、7月末に日本銀行が利上げと量的引き締めを実施すると、主要3通貨は円に対して年初比4~7%まで急激に調整された(図表1)。
国際的な物価の不均衡を調整した過去の円安
明治学院大学の岡崎哲二教授によれば、過去日本では1900年以降と1930年代、そして1940年代に大幅な円安が起きた。
1930年1月に旧平価(1ドル=2.006円)で金本位性に復帰した日本の為替レートは、1932年以降急速に円安となり、1933年には50%近い円安の1ドル=3.88円となった。これにより、為替レートで換算した日本の米国に対する物価の割高、ないし米国に対する実質為替レートの割高が解消した。
1941年7月には、米国が日本の在米資産を凍結し、為替取引が停止された。通常の為替取引が再開されたのは1949年4月のことで、その時の為替レートは1ドル=360円。金輸出再禁止で円安が進んだ1933年と比較しても、円の対ドル価値は90分の1以下に切り下げられた。
この切り下げが行われた基本的な理由は、この間に日本で生じた激しいインフレだった。日米の物価上昇率に100倍を超える差が生じる中で、大幅な円の切り下げが必要とされたのである。
今回の円安をこうした1930年代、1940年代の円安と比較すると、過去2回の円安は国際的な物価のアンバランスが先行し、それを調整するかたちで為替レートが変化したことが窺える。他方で、今回は円高トレンドにあった期間から米国のインフレ率の方が継続して相対的に高い状態にある(2024年6月25日付け日本経済新聞朝刊「経済教室」参照)。
相対物価の動きに反する足元のドル高円安
図表2は、筆者が岡崎教授の論文を参考に、1913年以降のドル円相場と日米相対物価を対数目盛でプロットしたものである。
1913年1月から1933年1月までの20年間で、日本の物価は米国の物価に対して1.7倍になっていたが、これを調整するために、1931年12月に1ドル=2.0円だったドル円相場は、1933年1月に1ドル= 4.8円と2.4倍に切り上げ(円の切り下げ)られた。
また、1941年12月から1949年3月までの約7年間に日本の物価は米国に対して63.9倍になり、戦後の日本の復興を促すために、ドル円相場はこの間1ドル=4.3円から1ドル=360円まで84.4倍の切り上げ(円の切り下げ)となっている。これに対して、1970年12月から2024年5月まで日本の物価は米国の物価に対して0.33倍まで低下した。
これに沿うかたちでドル円相場も、2011年10月に1ドル=77円をつけるまでは0.21倍まで下落していたが、それ以降反転し、2024年5月には1ドル=156円と2011年10月対比で2.0倍のドル高円安となっている。
図表3は、1971年以降のドル円相場と購買力平価(PPP)をプロットしたものである。岡崎教授の指摘通り、観察期間において継続して米国のインフレ率の方が相対的に高かったため、購買力平価は右肩下がりの円高トレンドを示し、それで沿うかたちで市場レートも2010年まで円高となっていた。
ところが、2011年以降は、購買力平価が引き続き円高トレンドを示す一方、市場レートは急速に円安となり、2024年6月には、購買力平価86円に対し市場レートは158円をつけるなど、円の過小評価が拡大してしまった。この時、83%以上にもなった大幅な乖離(かいり)率の拡大は、1971年以降では極めて異例であった(過去のピークは1982年10月の33.9%)。
このことからも、今回の円安が1930年代と1940年代とは異なり、いかに日米の相対物価水準から逸脱したものであるかがよく分かる(図表4)。
■図表4 1971年以降のドル相場の購買力平価に対するミスアラインメント(%)
突出した量的緩和が円安の主因か
なぜ日米の相対的物価水準から外れる状況が続いているのか。主因は、わが国の量的金融緩和が主要国対比で突出したものであるためだろう。
図表5は、1999年以降のユーロ圏、米国、日本、英国の中央銀行が市場に供給する資金(マネタリーベース)を名目GDP(国内総生産)比でプロットしたものだ。
各国・地域のピーク時を比較すると、日本の121.4%(2022年第2四半期)に対し、ユーロ圏47.3%(2021年第3四半期)、米国26.4 %(2021年第3四半期)、英国43.7 %(2022年第1四半期)となっていた。
また、直近の2024年年第1四半期には、日本の111.2%に対し、ユーロ圏35.6%、米国21.3%、英国32.2%となっており、日本の高さが際立っていたことが見てとれる。
為替相場と購買力平価の因果関係はツーウエイ?
一般的には、購買力平価は為替レートの予測モデルと考えられている。すなわち、日本の物価上昇率が米国のそれより相対的に低ければ、ドル円相場は下落すると理解できる。しかし、両者の因果関係は、購買力平価→市場レートの一方向とは限らない。
市場レートがドル安円高になれば、米国の物価上昇率が日本のそれより高くなり、購買力平価が市場レートに収れんし、両者の乖離が解消すると考えることもできる。すなわち、市場レート→購買力平価の因果関係も存在する。実際に、日本の「失われた30年」の間は、行き過ぎた円高がデフレの元凶であったと考えることができると言えよう。
したがって、一般的には、前述の83%を超える円の過小評価、すなわち、購買力平価と市場レートの乖離は、将来的に市場レートが同じ率だけドル安円高になることで解消されると予測できるだろう。
しかし、市場レート→購買力平価の因果関係が存在するとすれば、日本の物価が同じ率だけ米国の物価より高くなること、すなわち、購買力平価が同率だけドル高円安になり、市場レートに収れんすることで、両者の乖離が解消する可能性もある。換言するなら、日本の突出した量的緩和は、まず大幅な円安を引き起こし、将来的には、日本においてハイパーインフレーションを引き起こすシナリオもあるということだ。
実際に、G7(主要7カ国)中最悪の日本の財政ポジションを持ちながら、同時に主要国中で突出した量的緩和によるマネタリーベース供給を行っている日本の現状を見て、日本銀行が財政ファイナンスを行っている日本において将来ハイパーインフレが生じると予測する海外投資家は、以前から少なからずいると言われている。
ハイパーインフレと大幅円安、どちらが先か
20世紀を振り返れば、第二次世界大戦中の軍事費調達のための日本銀行による国債引き受けが戦後のハイパーインフレを引き起こし、「日本のデフレや大幅な国際収支不均衡を引き起こすことなく、通常の国際取引を再開するためには(1ドル= 360円までの)大幅な円の切り下げが必要とされた」(岡崎氏)様子が見て取れる。
これに対して、21世紀おいては、日本銀行による量的緩和を通じた財政赤字のマネタイゼーションが、既に購買力平価から83%も乖離した円安を引き起こしているが、これが今後ハイパーインフレを招来するリスクが高まっていると言えよう。ただ、それを誘発するトリガーやパスが何なのかは筆者には現状に皆目見当がつかない。