長年にわたって企業年金基金の運用業務に携わってきた真砂二郎氏が、年金運用をはじめ金融マーケットにおける種々の話題を独自の目線でつれづれなるままに書く「真砂二郎の年金運用日記」。今回は、現状の円安の功罪について想いを記しました。

異常な現実を前提に

民主主義の国、米国には、本来正しい民主主義なるものがあったはずである。しかしながら、「米国大統領選挙が盗まれた」などという主張を共和党支持者の半数が信じてしまっている現実を、内外の市民はどのように見ているのであろうか。

これまでの良識派からすれば異常なことであるが、共和党の支持者の多くは、「盗まれた」ことを事実と認識、あるいはそう思い込もうとしているのが現実である。また、共和党候補者の上位三者が、地球温暖化に伴う異常気象を「デマ」と主張する現実の異様さはどのように受け止めればよいのであろうか。

このような現状の中で米国では選挙が行われ、こうした異常な考えの候補者が再度アメリカ大統領になる可能性があるわけである。今後の社会では、異常だと思えることが現実に起こりうる。その結果、どのように世界が変わるのかは、実際に見てみなければわからないだろう。

今後は、「正しいこと」「異常なこと」の分別とは別に、我々にとって異常と思える現実が、実際にはどのように対処されていくのかのメカニズムを把握することが重要になると考えている。機関投資家のように世界の動きに直面していく主体は、それを前提として、「異常な現実」に対処していく覚悟が必要になるだろう。先々、我々の想定外のことが起こりうるということを共通認識に、いろいろ構えなければいけない。

経済動向においても、想定したことと実際に実現することの相違が出たケースを、最近多々経験してきた。まず思いつくのは、一年前には大幅かつ急激な米国の金利引き上げにより、2023年度に米国経済は景気後退を迎え、同時に株価も大きく調整するという経済論調だ。その予見は未だ現実とはなっておらず、どうも外れそうである。まず間違いなかろうとされた予見ですら、そうならないのである。

GNIを見ての景気楽観視は危険かもしれない

日本の場合を考えると、日本銀行が2023年4月以降一貫して主張している「早期にマイナス金利を解除したら、2024年以降にはまた2%物価上昇の到達は遠のき、デフレ局面に逆戻りしてしまう」との主張も、本当に信じていいのか疑問である。

これまで、2023年3月時点での日銀総裁交代時に向けては、経済界の多くがマイナス金利の弊害を声高に主張されていたものの、現時点ではそのような声があまり聞かれなくなった。いま彼らのような論者はどのように考えているのであろうか。

マイナス金利反対論者の多くはマイナス金利によるゾンビ企業の延命、企業の新陳代謝の遅れを訴えていたが、現状の生産性向上への影響はいかほどなのか、検証データが欲しいところである。

2023年4~6月の年率名目GNI(国民総所得)が625兆円(2023年9月15日付日本経済新聞)と堅調であることから、現状の経済データを見て声を潜めてしまっているのであろうか。このGNIはGDP(国内総生産)589兆円に海外からの所得の受け取り56兆円と支払い20兆円の差し引き36兆円を加味しており、経済状況を実態以上に良くみせているきらいがある。

加えて、この所得収支は過去において、海外企業の買収・出資をした果実である配当金などが主体となり、現在の企業の稼ぎが正しく反映されているわけではないことも認識すべきである。さらに円安効果も大きく影響していることにも注意が必要だ。

もう一つの気がかりは、日銀による国債購入に頼った国家財政の拡大懸念についてだ。2022年6月末時点における国家債務残高は1255兆円で、これはGDPの2倍を超える水準と先進国において突出している。にもかかわらず、そのファイナンスを実質担っている国債の金利は暴騰せずに済んでいる。

これは国債を日本国内でファイナンスできているからという側面もあるが、基本的には、経常収支の大幅な黒字が保たれていることが大きいだろう。これも日本企業による歴史的な努力の結果でもある所得収支が貿易赤字に大きくプラスとなっている賜物だ。

しかしながら、エネルギーを海外に頼らざるを得ない日本としては、仮に昨今の円安などにより貿易収支の赤字が拡大傾向となり、所得収支を食いつぶして経常収支の赤字へとつながる状況となった場合、日本経済への信認は保たれるのであろうか。

そもそも現在の円安状況を見ると、単に内外金利差だけに原因を求められそうにないような印象があり、日本経済への信認の剥落が根本的な要因かもしれないと考えてしまう。やはり経常収支に余裕のある今こそ金融政策の正常化を図り、脆弱企業の放置はやめて、企業の競争力を将来のために鍛え上げなければならないのではないか。

円安というモルヒネにいつまでも頼っていてはいけないのである。

知らぬ間に、「失われた30年」が「失われた半世紀」になりかねない。健全な競争原理に基づいた、これからの道を歩み始めなければならないだろう。経済論者によっては日銀による間接的なファイナンスは無限に可能であるような論調も見るが、そのひずみは円安などに必ず現れてくるはずだ。