アジア投資インサイト 第2回【ロックダウンにあえぐフィリピン】 内需依存で経済活動に大打撃も。ペソには経常収支黒字化の追い風
30年ぶりに景気後退局面入り
アジア屈指の高成長国へと変貌を遂げたフィリピン経済に急ブレーキがかかっている。
フィリピンは2019年まで8年連続で6%以上の経済成長を達成してきた。しかし新型コロナウイルスの感染が拡大する中、2020年4 ~ 6月期の実質GDP(国内総生産)成長率は前年同期比マイナス16.9%となり、ASEAN(東アジア諸国連合)諸国で唯一2桁のマイナス成長を記録。約30年ぶりにリセッション(景気後退)入りした。
その後、GDP成長率は同年7 ~ 9月期にマイナス11.4%、次ぐ10 ~ 12月期にマイナス8.3%、2021年1 ~ 3月期にマイナス4.2%と改善傾向にあるものの、周辺国に比べて回復の遅れが目立っている。
フィリピンはコロナ対策に苦慮してきた国の1つだ。2020年8月をピークとする第1波は、同年末に1日当たりの新規感染者数が1000人前後まで減少し、ようやく感染拡大に落ち着きがみられた。しかし2021年3月以降、再び感染が拡大し、同年4月には一時、ASEAN最多となる1万5000人の感染が確認された。
そんな中、政府は感染拡大を防止すべく、2020年3月から移動・経済制限を実施している。隔離措置は4段階あり、緩急を繰り返しながら現在まで継続されている。特にマニラ首都圏では、2020年3月中旬から5月中旬まで、4段階の中で最も厳格なECQ(強化されたコミュニティ隔離措置)が運用されたため、GDPの大幅減速に繋がった。
足元の第2波では、3月下旬から4月下旬に再びECQへと隔離措置が強化されたことから、4 ~ 6月期のGDPへの影響が懸念される。
そもそもフィリピン経済は、東アジアの多くの国とは様相が異なる高度成長を遂げてきた。というのは、一般的に、経済発展の段階に応じて農林水産業、製造業、サービス業の順に成長のけん引役が変わっていくのに対し、フィリピンの場合は製造業の発展を待たずにサービス業が主導する経済へと転換したからだ。
2019年のGDPを需要項目別に見ると、民間最終消費支出が68.5%を占め、GDP成長率への寄与度も3.95ポイントと高い。内需依存度が高い同国において、移動・経済制限が経済に与えた爪痕は大きく、経済回復を遅らせる最大の原因となっている。
フィリピン経済の3つの原動力
近年、フィリピンの高度成長をけん引してきたのは、①BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)、②オンラインカジノ、③海外送金――の3つの要素である。それぞれのコロナ禍における状況を整理したい。
①BPO
英語が公用語の1つであるフィリピンでは、米国を中心としたグローバル企業のバックオフィスの業務受託が一大産業となってきた。その中でも、英語力を生かしたコールセンター業務が盛んで、BPO全体の7割のシェアを占めている。2010年にはコールセンター業務の市場規模でインドを抜き、世界トップに浮上した。
フィリピンITビジネスプロセス協会(IBPAP)によると、2020年は首都圏における移動・経済制限などの影響から、BPO産業全体の売上高は前年比1.5%増の267億米ドル(約2兆9370億円、1ドル= 110円で計算)と、前年の7.1%増から減速した。
一方、今回のパンデミックをきっかけに、欧米諸国では業務の外部委託需要がこれまで以上に高まっており、中長期での業容拡大が期待される。IBPAPは、2021年は5.0 ~ 6.5%の増収を見込んでおり、引き続きフィリピン経済を下支えする見通しだ。
②オンラインカジノ
近年、首都圏ではオンラインカジノの起業が急増している。特に自国で賭博行為が禁止されている中国人向けのサービスが中心で、フィリピン娯楽賭博公社(PAGCOR)によると、オンラインカジノ事業者( POGO)の多くが中国資本となっている。
オンラインカジノ産業の急成長は、フィリピンに雇用と大きな税収をもたらしただけでなく、不動産市場も押し上げた。同国の不動産コンサルティング会社リーチウ・プロパティによれば、2019年に首都圏のオフィス需要の44%をPOGOが占め、BPOの31%を上回った。
半面、POGOは不法就労する中国人労働者を多く抱えている。こうした状況を中国側は問題視しており、2019年に実施されたフィリピンと中国の首脳会談では、中国側がフィリピン政府に取り締まりの強化を求めるなど外交問題に発展した。
フィリピン政府はコロナ禍前にPOGO従業員に対する徴税強化や、営業免許の更新停止などの取り締まりを強化していた。移動・経済制限を受けた営業停止などの逆風も加わり、関連産業では撤退の動きも出ている。コロナ禍を契機にオンラインカジノ産業に対する風向きは変わりそうだ。
③海外送金
フィリピンは人口の約1割に当たる1000万人が海外に移住するなど、世界最大の労働力輸出国である。海外出稼ぎ労働者による同国への送金額は、2019年に300億ドル(約3兆3000億円)を超えた。GDPの8%を超える海外送金は、国内の個人消費を支える原動力となり、フィリピン人の生活水準の向上にも寄与してきた。
しかし、パンデミックを背景とした失業などで帰国者が増えたことから、送金額が減少。2020年の送金額は前年比0.8%減の299億300万米ドル(約3兆2923億円)にとどまり、伸び率は20年ぶりの低水準となった。ただ、2021年については、世界的なワクチン接種の拡大により、全体の4割を占める米国などからの送金額の回復が期待される。
中長期的なペソ高になるか
フィリピンでは2021年3月にワクチン接種が始まった。同年5月末時点で約830万回分が輸入されたものの、のべ450万人の接種にとどまっている。また、米デューク大学の集計( 2021年5月30日時点)によれば、総人口に対する接種率は、必要な回数を接種した完全接種率が1.10%、部分接種率が3.63%と、世界平均の5.49%、10.72%を大きく下回る。
政府は年内に人口の7割の接種を完了したい考えだが、ワクチンの確保も含めて動向を見守る必要があるだろう。接種ペースを見る限り、移動・経済制限を全面解除できるタイミングはしばらく先となりそうだ。
そのほか、フィリピンでは2022年に次期大統領選挙が予定されている。現行法では大統領の再選が禁止されているため、現職のロドリゴ・ドゥテルテ大統領の出馬は認められていない。一部では、南部のダバオ市長を務める同氏の長女サラ・ドゥテルテ氏の出馬が取り沙汰されているが、現時点では両者とも否定している。2019年の中間選挙を経て、議会の多数派をドゥテルテ派が占めていることから、大統領選挙において大きな波乱はないと思われるものの、今後徐々に政治的な駆け引きが活発化していくだろう。
選挙を見据えて、ドゥテルテ政権肝いりの大規模インフラ整備計画「ビルド・ビルド・ビルド」の加速も予想される。しかし、感染収束に先立った移動・経済制限の緩和やインフラ投資の加速は感染拡大を助長し、かえって内需の回復を遅らせることになりかねないため注意が必要だ。
さらに、近年変化が見られるのが為替相場だ。フィリピンペソ相場は、2013年以降、ほぼ一貫して対米ドルで通貨安が続いていたが、2018年後半に反転した。直近1年間では、ASEAN主要5通貨(タイバーツ、マレーシアリンギ、インドネシアルピア、フィリピンペソ、ベトナムドン)の中で最も上昇している。
世界的な「カネ余り」に加えて、経常収支の黒字転換が追い風となっている。フィリピンでは経常収支の赤字が恒常化していたが、内需低迷による輸入の減少で貿易赤字が縮小し、2020年は経常収支が黒字となった。米国金融政策の正常化が取り沙汰される中、中長期的なペソ高トレンドへの転換となるのか注目したい。