東西冷戦の終結とインターネットの民生への全面開放

このように国際秩序は新冷戦の本格化とともに大きく変わろうとしている。当該変化の中で、世界経済に何が起こり得るのかというと、先進国を中心としたディスインフレ現象の終焉であろう。そもそも、ここ30年以上にわたるディスインフレの最も大きな要因は東西冷戦の終結であると言える。東西冷戦の終結によって東西のブロック経済がなくなり、グローバル経済の極度の進展の中で、世界の資本はより安い労働力、より安い不動産、より安い資材・原料を求めて世界中に効率的なサプライチェーンを構築していった。

【図表】日米独の消費者物価(総合)の推移

図表
資料:IMFデータより富国生命投資顧問作成

そして、この動きにさらに拍車をかけたのが米国国防総省の軍事技術であったインターネットの民生への全面開放である。インターネットによってあらゆる情報が瞬時に入手できることになった結果、この効率的なサプライチェーンと最適な物流が有機的に機能し、低価格のモノが世界に溢れることになった。

さらには、経済の付加価値が先進国から新興国に大きく流出する結果を招来した。資本ベースで考えると、この状況の中で莫大な利益を上げているわけだが、国ごとの経済付加価値でいうと、サプライチェーンとして選択された新興国の経済が高い成長となり、経済拠点が移転された先進国は低成長が続くという事態になっている。この先進国の長期停滞ともいっていい経済の低成長もディスインフレを助長することになった。

もちろん、東西冷戦の終結だけがディスインフレを生じさせているわけではない。特に日本の場合、1985年のプラザ合意で極端な円高を強いられたことがかなり効いていて、その後の円高傾向の継続がディスインフレというよりは、デフレの次元に突入してしまった要因であるのは明らかである。

しかし、これとても東西冷戦の終結の中に包含される事象かもしれない。1985年のプラザ合意時点では、もはや東西冷戦の勝負はほぼ決していたからである。

それまでは、対ソ連の最前線であった日本が西側陣営の中で地政学的な観点から特別待遇されていたのは自明であるが、その特別待遇がこのプラザ合意を起点に徐々になくなっていったのも事実である。実際、東西冷戦の終結の年の1989年に日経平均株価が3万8900円の最高値をつけた後、1991年のソ連崩壊と平仄(ひょうそく)を合わせるように日本のバブルが歴史的大崩壊を起こしていったことがそのことの証左と言えるだろう。

グローバル経済からブロック経済へのダイナミックな転換

これまで、縷々(るる)述べてきたように冷戦構造のあるなしというのは、世界経済の行方を決定づけるインパクトを持っているということであり、今まさに東西冷戦終結後のグローバル経済から新冷戦におけるブロック経済へダイナミックな転換が起ころうとしている。サプライチェーンは効率性よりも安全保障の観点から自国か同盟国を中心に再編され始めていて、局所的にはかなりの価格高騰になっている。

もともと軍事技術であったインターネットは本来の軍事的技術として使われ始めており、今後、次世代通信規格の5G、6Gの進展にともなって、東西冷戦時代のCOCOM規制のようなことも拡大していくだろう。東西冷戦の時代と違って、一度グローバル経済の極致を経験し、今でも経済での強い相互依存関係にある新冷戦なのでなかなか実感しづらい。ディスインフレマインドの呪縛からそう簡単に解き放たれることはないとは思うが、この国際秩序の大転換はしっかり押さえておく必要がある。