銀行の信認が低いアルゼンチンは引き出した外貨をタンス預金化

第2次世界大戦前まで、アルゼンチンは先進国の一つとして数えられていた。首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも言われ、世界有数のコスモポリスの一つであった。そのアルゼンチンが戦後、没落の一途をたどり、先進国から中進国に衰退してしまった。この過程で非公式的なドル化が進むことになったのである。

アルゼンチンは2001年から2002年にかけて深刻な通貨危機を経験しており、これがアルゼンチン経済の破たんを決定的なものにした。2018年8月にトルコのリラ暴落に連動して生じたアルゼンチンの通貨危機も、結局はこの延長線上にある。トルコと同様にアルゼンチンもまた、過去の通貨危機の経験に囚われ非公式的なドル化に苛まれ続けている。

2015年12月に就任したマウリシオ・マクリ前大統領は、アルゼンチン経済の再建を目指し、様々な改革に着手した。二重為替レート制度の撤廃など一定の成果もあったが、要であった財政・金融政策の引き締めは民意の反発を受けてとん挫、通貨ペソの相場に強い売り圧力がかかった。さらに2018年8月のトルコ通貨危機が、ペソの下落に追い打ちをかけた。

M3に占める外貨預金の割合は通貨危機直前の2018年7月時点で22.2%に達していたが、通貨危機が生じた同年8月には27.6%に急上昇した。しかしながら最悪期である2019年8月に31.0%まで上昇した後、直近2020年3月には21.0%にまで低下している。この背景には、引き出しの増加に伴う外貨預金の急減がある。

2019年12月に就任したアルベルト・フェルナンデス現大統領は左派色が非常に強く、公共料金の凍結や公務員給与の引き上げ、子ども手当の増額といったバラマキ政策を強化するなどして、アルゼンチン経済の混乱に拍車をかけている。加えて、中銀が利下げを進めたこともあり、ペソ相場の下落が進み、人々は銀行から外貨預金を引き出している。

アルゼンチンでは2002年にIMF(国際通貨基金)から支援を受けた際、預金封鎖が行われた。その経験から人々の銀行に対する信頼感は弱く、ドル紙幣を手持ちしておく、いわゆるタンス預金を抱えておく傾向が強い。人々は足元のペソ相場の下落を受けて、銀行から外貨(主に米ドル)預金の引き出しを進めているわけだ。

一度失われた通貨の信認を回復することは容易ではない。非公式的なドル化は、政治・経済的な混乱を反映した現象だ。言い換えれば、そうした混乱が一時的に収束したとしても、根底にある構造的な問題が改善しない限り、自国通貨の信認が回復することはないし、非公式的なドル化も緩和しない。

通貨の信認を回復するための取り組みとして特に重要なことは、財政・金融政策の健全な運営にほかならない。政府が赤字を垂れ流し、それを中銀が金融緩和で支えるような国の通貨は、いつまで経っても信認を回復することができない。この負の連鎖を解消することが、通貨の信認を回復する上での最低条件となる。

しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うリスクオフの流れを受け、新興国の通貨は対ドル、対円で下落が鮮明である。さらに、新興国でも財政拡張を金融緩和で支える動きが加速した。景気の悪化を緩和するためには致し方ない措置とはいえ、通貨の安定を考えた場合、決して好ましい動きとは言えない。

通貨の下落が鮮明な新興国では、将来的な通貨危機の可能性に備えて、非公式的なドル化が進んでいると考えられる。それがさらに、新興国におけるマクロ経済運営を困難にする。ドル化のトラップを抜けることはただでさえ容易でなかったが、新型コロナウイルスの感染拡大はこの問題をさらに複雑なものにさせたと言えるかもしれない。