2021年末にも、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)の公表が停止されるとのニュースに接して、2つの光景が鮮明に蘇った。LIBORスキャンダルが発覚するより一昔前の話である。

ロンドンの低格付けの銀行が関わっている指標

日本取引所グループ
常務執行役
井阪 喜浩

その1:世界銀行の元上司「Yoshi、米ドル債の発行、資金調達に当たっては、基本的にLIBORは使ってはいけない。LIBORと言う指標には、それ自体に内在するリスクが含まれている。ロンドンの低格付けの銀行が関わっているのだから」

1980年代後半、私はワシントンD.C.にある世界銀行本部でマーケットからの資金調達を担当する部門に出向していた。キャピタルマーケットでの経験不足の私に様々なアドバイスをしてくれたのは、上司のケン・レイ氏である。当時の世銀の財務部門は、キャピタルマーケットの世界で数々の新機軸を打ち出していた。1989年には、世界の三大市場であるニューヨーク、ロンドン、東京で同時発行する初のグローバルボンドでの起債を成功させるが、ケンのリーダーシップ抜きには考えられないことであった。

そんな彼から初めて、米ドル債の発行を任された時の指示の一部が前述のその1の発言である。当時ニューヨークの証券会社から、「井阪さん、米ドル債を固定金利で発行してLIBORベースにスワップすれば、LIBORマイナス50~60ベーシスポイントで資金調達できますよ。あと何ベーシス必要ですか?」と言った電話が何度もかかってきていたのだ。これには、スワップで多少の腹切りをしても、世銀のマンデートを取りたいと言う思惑があったのかもしれない。結局、3年間の世銀勤務では多数の債券を発行することになるのだが、LIBORがらみの案件はきわめて限定されることになった。

契約時に何%か分からないようなものは信用できない

その2:キルギスの長老「遠路はるばる中央アジアまで我々のプロジェクトを見に来てくれたことには感謝するが、そのLIBORとか言うやつで借り入れるなんてありえない。馬鹿げている」

ワシントンから帰国後、4年間の国内勤務をした私は、今度はロンドンにある欧州復興開発銀行で中央アジアのキルギスを担当することになった。

キルギスの首都ビシュケクに行くには、フランクフルト経由でカザフスタンのアルマトゥイに飛び、そこから深夜、車で国境を越える必要があった。冬季の出張に際して、上司から懐中電灯を持っていくようにとのアドバイスをもらった。懐中電灯は深夜、アルマトゥイの空港で待ち受ける白タクのタイヤの溝の深さを確認するためである。磨り減ったタイヤでは、隣国までの5時間の夜道は危険がいっぱいであった。

キルギスでは、同僚とともにプロジェクトの現場を視察し、現地起業家と融資条件を話し合うことになった。それに先立つ夕食会では羊の丸焼きを御馳走になった。旧ソ連時代は共産党の幹部で、独立後はプロジェクトのオーナーになっていた現地の長老は、ロンドンから来た我々を最大限にもてなそうとしていた。テーブルの真ん中には羊の頭が置かれ、眼玉を食べるように勧められた。自分たちの新規プロジェクトをしっかり見て欲しいとの意味が込められていた。

次の日、同僚が融資の条件を説明した。LIBORプラス4%ぐらいの貸し出し金利になると説明すると、それでは、そのLIBORと言うのは何パーセントかと聞いてきた。何度も、英語とロシア語の通訳を介したやりとりがあって、契約時に何%か分からないようなものは信用できないと言う前述その2の発言に至る。同僚が、にわか資本家は話が通じず困ったものだと言いたげに私のほうを見た。

アンデルセン作の裸の王様は、機織りの詐欺師に騙された王様が愚か者には見えないという布でできた服を着てパレードに出たところ、取り巻きの重臣たちは皆見えるふりをしていたが、沿道の1人の少年の呟(つぶや)きで真実が明らかになるという童話だ。私には、キルギスの長老の話に通じるものがあるように思えてならない。

LIBORは金融の羅針盤、これを信じないのは愚か者の証拠だと現代の重臣たちは振る舞ってきた。しかし、今着ている服がフェイクだと分かったら、実績のある機織り職人が作った服に着替えるしかない。