三菱UFJリサーチ&コンサルティング
調査部
主任研究員
堀江 正人(ほりえ・まさと)

2000年代に好調だった南米経済は、2010年代に入ると、ベネズエラ経済の破たん、アルゼンチン経済の迷走、ブラジル経済の失速などに象徴される苦境の時代を迎えた。南米経済の2000年代の好調は、主にコモディティ・ブームに支えられたものだった。

ベネズエラ、アルゼンチン、ブラジルの左翼政権は、コモディティ・ブームによる歳入増加を背景にバラマキ財政を実施。それが各国の景気を押上げる原動力となった。しかし、2010年代には、コモディティ価格下落で従来のバラマキ政策が行き詰まってしまい、それが、上記3カ国の経済悪化の主要な原因になったと言える。本稿では、これら3カ国の経済情勢についてレビューする。

経済低迷・治安悪化のベネズエラ国民の6人に1人が近隣国に脱出

ベネズエラでは、1999年に発足した反米左翼のウゴ・チャベス政権が「21世紀型社会主義」と称して政府の経済への介入を強化し、価格統制、解雇禁止、貧困層向け支出拡大、民間企業の国有化といった政策を推進した。また、自国通貨を過大評価した固定相場制の下で外国為替統制を強めた。しかし、チャベス政権によるこうしたヘテロドクス(反正統派)な政策は、ベネズエラ経済破綻への序奏となった。

まず、固定相場の下での為替統制は、(自国通貨が大幅安となる)闇レートを蔓延させ、事実上の二重為替制度を招いた。また、価格統制は、国内生産者の意欲を失わせ、闇レートによる輸入が増えて物価が急上昇した。さらに、解雇禁止は、労働者の勤労モラルを低下させ、生産活動を停滞させた。貧困者向けの支出拡大は、石油輸出で得た富を減少させただけに終わった。他方、民間企業の国有化は、外資企業の対ベネズエラ投資意欲を失わせてしまった。このような自滅的な経済政策の下でもベネズエラ経済が2000年代に破たんしなかったのは、当時の原油価格高騰で政府の歳入が潤沢だったからである。

チャベス大統領は、任期中の2013年3月に病死したが、その後の大統領選挙でチャベス大統領の後継者であるニコラス・マドゥーロ候補が勝利、このため、チャベス路線は現在も踏襲されている。2018年には、主要野党不参加の中で実施された大統領選挙でマドゥーロ大統領が再選を果たし2019年1月に就任式を催行したが、これを認めないフアン・グアイド国会議長が暫定大統領就任を宣言、米国、日本、西欧などの55カ国がグアイド大統領への支持を表明するという異例の事態となった。

こうした中で、政治社会情勢が悪化し、2019年には、各地で停電や断水が相次ぎ、その上、前述の価格統制のもとでのモノ不足によって闇レートでの輸入がさらに拡大。さらに、輸入増加と闇レート下落がともに加速、その相乗効果でインフレ率がスパイラル的に上昇した。IMF(国際通貨基金)によれば、2019年の通年インフレ率は20万パーセントにも達したという。このような状況下、多くの国民はベネズエラで生活できなくなり、これまでに国民の6人に1人に当たる450万人のベネズエラ人が近隣諸国に脱出するという未曽有の事態に陥っている。

経済成長率は大きく失速、IMFによれば2019年は通年でマイナス35%という大幅なマイナス成長になった模様である。ベネズエラは、経済情勢と治安がともに悪化するという深刻な状況に陥っており、しかも、こうした混乱状態は収束の兆しが全く見えていない。

アルゼンチンは左翼政権復活で経済再建の道のり遠のく

アルゼンチンは、ブラジルに次ぐ南米第2位の国土面積を有し、G20(主要20カ国・地域)のメンバーにもなっている有力な新興経済国である。アルゼンチンは20世紀初頭に、小麦や牛肉の輸出により世界有数の富裕国となったが、第2次世界大戦後は一転して財政破綻やハイパーインフレーションなどによる長期の経済混乱に直面し、2001年末には通貨危機が発生。対外債務のデフォルトに追い込まれた。

通貨危機後の混乱期を経て、2003年には左翼ポピュリスト政党のペロン党が政権を握った。その後、アルゼンチン経済は、2000年代半ばに、主要新興国の中では中国に次ぐほどの高成長率を示して注目された。高成長の理由は、中国向けを主体とする大豆輸出の拡大と、通貨危機でデフォルトに陥った対外債務を一方的に切り捨てて財政的に身軽になったことであった。しかし、2000年代後半からは、ペロン党政権による保護主義やバラマキといったポピュリズム的な経済運営の歪(ゆが)みが表面化した。

2012年以降は、ペロン党のクリスティーナ・フェルナンデス政権のもとで財政規律が低下し、通貨ペソの下落とインフレが進行する中で、国民が外車や株式を購入するなどして資産をペソから他の資産へ移す動きが加速した(図表)。当局は通貨安を抑止するために為替取引規制を強化したが、米ドルの闇市場が拡大する結果を招いただけで、通貨安を止めることはできなかった。経済状態が悪化する中、2015年に実施された大統領選挙では野党中道右派のマウリシオ・マクリ候補がペロン党候補を僅差で破り、12年半ぶりに政権交代が実現した。

マクリ政権は経済運営の正常化を目指して財政再建を図ったが、補助金支出削減による公共料金値上げなどの「痛み」を伴う改革に、結局、国民が耐え切れず、2019年の大統領選挙では、再びペロン党候補が当選、アルゼンチン経済再建への道のりは遠のいてしまった。新政権は、景気浮揚を重視し、従来マクリ政権が維持してきた緊縮財政を終焉(えん)させる可能性が高いと見られるため、今後の財政悪化の可能性が危惧されている。また、新政権は、景気回復なくして債務返済は不可能とも主張しており、IMFから供与された融資の返済の行方にも不透明感が漂う。

出所:CEIC

ブラジルはポピュリズム脱却も新型肺炎で対中輸出減の懸念

ブラジルは、国土面積も人口も世界第5位であり、しかも鉄鉱石や原油などの豊富な資源にも恵まれ、南米大陸を代表する新興経済大国である。ブラジル経済は、1960年代後半から1970年代にかけて、「ブラジルの奇跡」と称賛されるほどの高度成長時代を謳歌したが、1980年代以降は低成長化、不安定化し、概ね10年ごとに経済危機に見舞われ、景気が大きく失速するというパターンが繰り返された。

ブラジルは、1960~1970年代の高度経済成長期に成長マネーの調達源を対外借入れに依存していたため、第2次石油ショック(1979年)後の世界的な金利上昇による影響を受けて、1982年には対外債務返済不能に陥り、大幅な景気後退に直面した。その後、1980年代末には、ポピュリズム的なバラマキ政策によって財政規律を喪失し、ハイパーインフレーションに見舞われ、経済が機能不全に陥った。そのハイパーインフレーションをようやく克服し財政金融が安定したのも束の間、1990年代後半には通貨危機に見舞われ、為替相場が短期間で急激に下落し、ブラジル経済はまたもや失速を余儀なくされた。

そして、2003年に左派政権(労働者党出身のルイス・イナシオ・ルーラ・ダシルバ大統領)が成立、当初は、堅実な経済運営方針を示し、また、鉄鉱石などの輸出が好調だったこともあって、ブラジル経済が漸く安定成長軌道に乗るとの期待が高まったものの、2008年のリーマンショック発生により、持続的高成長への道はまたしても頓挫してしまった。ブラジル経済は、リーマンショック後の2010年に急回復したものの、その後は鈍化し、リーマン・ショック後の景気後退から僅か6年たらずで、2015年にはまたしてもマイナス成長に転落してしまった。

労働者党政権のもとで貧困層へのバラマキなどが行われ、財政赤字が拡大した。これを是正するため政府が補助金支出を減額した結果、公共料金が上昇し、インフレが加速。これに慌てた当局が利上げを実施したことにより、景気が大幅に冷え込んでしまった。さらに、政治家の汚職発覚に怒った民衆のデモが激化し、これを背景として通貨レアルが下落、経済的苦境が鮮明になった。

2016年には左翼政権が弾劾により退陣、その後、2019年には中道右派のジャイール・ボルソナーロ政権が発足し、年金改革などを含む財政健全化への取り組みが進められている。左派政権の弾劾手続き実施が濃厚になった2015年末には、市場のセンチメントが改善し、株価は上昇に転じた。しかし、中国のコロナウィルスによる肺炎拡大により、対中輸出が今後減少するとの懸念が高まっており、ブラジル経済の先行きには不透明感が増している。