人はいろいろ、会社もいろいろ

山﨑 晃義
証券・金融商品あっせん相談センター
専務理事
山﨑 晃義

あっせんの仕事に携わることになり、学生時代に読んだK.E.ボールディング『紛争の一般理論』を再読してみた。本書は冷戦下に書かれた著作のため、その主たる関心は国家間における紛争解決の手段や手法を分析することにあるが、その前段として紛争解決の一般理論の包括的・体系的構築を行っており、様々な含意を有する名著であると再認識した。

本書は理論経済学の手法を基本としているものの、経済学者と心理学者の視座の違いなどにも触れており、一般的な社会プロセスの理論モデルを構築することを企図している。この中で、個人は多様な特定動機によって動かされており、「個性変数」が与える影響が大きい旨が述べられている。

特に、あっせんの場を覗(のぞ)くと、人はいろいろであると感じること、しきりである。経済人の想定の如(ごと)く、和解金額を最大もしくは最小にすることを行動原理にする者から、識見に裏付けられたあっせん委員の正統性をそのまま受容する者、それぞれの立場を相互承認して歩みよる者などなど、それぞれの個人・会社の価値の順序づけに従って、あっせんに臨み、あらゆる人間ドラマが展開される。

あっせんの終了後には、あっせんに対する満足度の調査を行っている。同じ類のあっせんは、どのあっせん委員が行っても同じような調停案になるが、合意の内容が同じようなものであっても、満足している場合と失望している場合がある。満足度は、合意の内容ではなく、合意に至るプロセスから引き出されている。当事者の希望や意思が尊重された解決は、法、規則、前例などとの整合性を重視した解決よりも満足度が高いことが多いように見受けられる。現実の紛争の解決方法やその成否は、当事者の個性によるところが大であり、一般化にはなじみにくい性質のもののようである。

あっせんにおいて、個人の集合体である会社の対応もいろいろである。会社は、会社としての価値観を示し、その構成員が従うべき行動準則を定めることが望まれている。ただ、その実践の段階に至ると企業文化・風土といった統制環境に大きく左右されている。最近は、かつてのMBA(経営学修士)風な経営手法はやや人気が失せ、人間や社会貢献を追求する経営哲学に回帰したり、SDGs(持続可能な開発目標)を踏まえたものに深化したりしているように感じるが、具体的な問題処理にこの感覚が浸透するのには時間がかかる。トーン・アット・ザ・トップとはいっても、組織は経営者の人格以上にはなれないとも言われており、ましてや、コンプライアンス部門の位置づけが単なるコストセンターと認識されていると、なるほどという対応になる。神は細部に宿るが、あっせんや各社の苦情受付の場は、企業価値を見直す上では最良の場を提供するように感ずる。

金融のプロと顧客の間に存在する恐るべき「分断」

あっせんは、個性がぶつかりあう場における信頼構築のプロセスである。和解に至るまでには、双方が紛争をどのように捉え、それぞれの規範ではどのような対処が妥当と考えるかを分析することがはじまりとなる。

ただ、いまだに驚かされるのが、外務員を完全に信頼して投資を行っている者や、金融知識がほとんどないと見受けられる者が難解な商品を購入するなど、金融のプロの視点から考えると想像できないことが現に存在するということである。金融のプロは、投資は自己責任という文化で生きている。金融商品の販売については、法令やガイドラインに従った勧誘や確認書の徴求などを行っていることで、自らの責任は免除されるというのが理屈である。

これに対し、少なからぬ顧客は、外務員との関係性の文脈の中で取引をとらえるなど、「信頼」を基盤とした取引を行っている。さらに、その「信頼」も、金融のプロが想定する「信頼」とは違ったものであったりする。昨今、政治や社会の「分断」が話題になるが、金融のプロと顧客の間にも恐るべき「分断」が存在している。業者の顧客を知る義務が議論されることもあるが、ビジネスの現場として顧客カードから得られる外形の情報のみでは、規範の異なる顧客を知ることは想像以上に難しい。あっせんの場は、学びの場であり、新しい挑戦の場にもなっている。