新冷戦期の内外政治と為替相場 継続する地政学リスクと財政の混乱が円安の追い風に
世界経済フォーラムの「グローバルリスク報告書2026年版」は、短期的に重要なグローバルリスクの最上位として「地経学上の対立」を挙げた。本稿では、第二次世界大戦後の世界情勢を振り返り、日本が現在直面する地経学上の極めて困難なポジションが、今後ドル円相場の大幅な上昇を招来する可能性を論じる。(記事内容は2026年2月上旬時点)
現代史の中で揺れ動く日米中の関係性

梅本 徹
図表1は、戦後の国際情勢を米国、中国、日本を中心に振り返ったものである。米国は、1945年の第二次世界大戦終結後の米ソ冷戦下において、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)とブレトンウッズ体制などを通じて、自由貿易とドルを基軸通貨とする国際通貨体制を構築し、西側諸国を経済的繁栄に導いた。1970年代には、1971年の二つの「ニクソンショック」によって米中国交正常化と為替変動相場制への移行が実現。1989年の「ベルリンの壁崩壊」を経て、1990年代初めにはソ連邦の崩壊とともに米ソ冷戦が終結した。

ポスト冷戦の時代、文字通り世界唯一のスーパーパワー(超大国)となった米国は、1993年のクリントン政権発足以降、中国を製造業の生産拠点としてビルドインする成長戦略を採用、米国経済は金融・IT(情報技術)産業の急発展によって高成長を続けた。
第二次世界大戦以降、農業中心の共産主義経済国であった中国は、1978年の「改革・解放」によって市場経済を導入した。1989年に始まるポスト冷戦時代には、中国経済は世界経済におけるキープレーヤーとなるまでに発展し、米クリントン政権発足以降は、米国の経済パートナーとして急成長を遂げた。
2001年になると、GATTを引き継いだWTO(世界貿易機関)へ、中国の加入が承認された。その後、2010年代後半に勃発した世界金融危機に際して、中国は約4兆元の景気刺激策を発動し、危機の震源地として不況にあえぐ米国に代わり世界経済の救世主となった。だが、2013年に国家主席に就任した習近平氏が「一帯一路構想」を発表して以降、中国の覇権主義が顕著となる。
2014年のロシアによるクリミア侵攻を契機に世界は「分断の時代」に突入する。2016年に、急激な経済発展とともに覇権主義を強める中国のGDP(国内総生産、購買力平価ベース)が米国を凌駕すると、2017年に発足した第一次トランプ政権は対中貿易戦争の火ぶたを切る。さらに、2025年1月に誕生した第二次トランプ政権は、同年4月の相互関税導入によって中国への対決姿勢をさらに強めるが、結局、中国によるレアアースの輸出規制と米国産大豆の輸入制限によって、同年11月には休戦を強いられた格好だ。
2025年12月に発表された米国の国家安全保障戦略(NSS)では、ドンロー主義(トランプ版モンロー主義)への回帰と西半球への資源集中が鮮明となり、2026年1月には、中国に原油を供給するベネズエラを米軍が攻撃する「アブソリュート・リゾルブ作戦」を実行に移した。さらに、レアアースが豊富なグリーンランドの領有権をめぐって、米国とEU(欧州連合)諸国間の対立まで生じた。
米国は、第二次世界大戦以降継続してきた「ルールによる平和・国際協調」から「武力による平和・帝国主義」へ大きな方針転換を果たしたと見ていいだろう。地経学の観点からは、戦後に米国がGATT/WTO・ブレトンウッズ体制やG7/20(主要7カ国・20カ国)会議などを通じて構築してきた自由貿易・ドルを基軸通貨とする国際通貨体制が崩壊の危機を迎えている。
第二次世界大戦によって焼け野原と化した日本は、戦後の米ソ冷戦下、日米同盟を契機に復興と高度成長を遂げる。1972年には、田中角栄首相(当時)によって日中国交正常化が実現。日本経済は、1978年の「改革開放」に端を発した中国経済急成長の恩恵を被ることができた。日中関係も、1990年代まで続いた自民党内における経世会(旧田中派)支配の間、比較的良好に推移した。
ところが2000年代以降、経世会の支配力が弱まり、自民党内において親米保守派が実権を握ると、日米の軍事協力の強化が顕著となり、日中関係は悪化の一途を辿った。小泉純一郎政権下において自衛隊がイラク戦争に派遣され、安倍晋三政権下では集団的自衛権の限定的行使が可能となった。岸田文雄政権下では防衛費のシーリング(概算要求基準)が撤廃され、高市早苗政権によって防衛費の増加に拍車がかかっている。
日本を含む極東が西半球にないことは明らかであり、米政権内における関与抑制派(リストレイナー)の台頭によって、米国による東アジアへのコミットメントの継続性に疑問が生じている。そのような中、2025年11月の高市首相による台湾有事発言を契機に、日中関係は急激に悪化、訪日中国人の激減、レアアースの輸出規制など、地経学的な対立が日本経済に与える悪影響が懸念されている。地経学の観点から、ドンロー主義時代における日本の新たな外交・安全保障政策の策定・実施が強く望まれる。
極東を取り巻くリスクと「円相場の崖」
米中が対立する新冷戦時代においては、日本が極東における武力紛争に巻き込まれる地政学的リスクを反映して、「有事の円売り」が為替市場を席捲(せっけん)するであろう。
米ソ冷戦下の外為市場においては、「有事のドル買い」が存在した。この時代、主に中東で繰り広げられる武力紛争の多くが、米国とソ連の代理戦争であった。ひとたび中東で戦闘が開始されると、原油価格が高騰し、世界中の資本が「質への逃避」に向かった。ソ連に隣接する西欧や日本から、太平洋と大西洋という2つの大洋で隔てられた米国のドル資産へ向かうカネの流れだ。なお永世中立国であるスイスフランも買われた。
1990年代以降、冷戦が終結すると、日本は地政学的リスクとはほぼ無縁となった。ソ連の軍事的脅威がなくなり、米国がコミットしたテロとの戦争とは宗教的に一線を画したからである。したがって、ポスト冷戦時代においては、経済的・地政学的リスクが弱まる際には「リスクオンの円安」が、逆に強まる際には「リスクオフの円高」が外為市場を支配した。このリスクオフの円買いは、日本の低金利を利用した円キャリートレードの巻き戻しによって拍車がかかった。
ところが、米中対立が深まり、「新冷戦時代」に突入しつつある今、日本は再び地政学リスクを意識しなくてはいけない局面に入った。台湾有事に代表される極東における武力紛争に、日本が巻き込まれる蓋然性が幾何級数的に増加したためである。「ポスト冷戦」から新たな局面へ移行する過渡期にある足元では、為替市場は、引き続き「リスクオフの円安」と「リスクオンの円高」という従来の慣習に執着している。しかし、新冷戦時代においては、地政学リスクが相場を動かす重要なドライバーになる可能性が高い。これまでとは逆で、地政学的リスクが弱まる際には円高、強まる際には円安というメカニズムが働くのではないか。
そして、万が一にも日本が地政学的な紛争の舞台となるリスクが意識されれば、大変な円安を生じかねない(図表2)。円の急落というより、「崖」と呼べるほどの暴落になるだろう。円相場が歩む先は、「地政学リスクの崖」か「平和の円高」か、今後の行く末が注目される。

財政拡張策が招くクラウディングアウト
2021年以降、ドル円相場と購買力平価とのミスアライメント(かい離)は拡大の一途を辿り、一部の市場参加者からドル高円安の継続性に疑問が呈されている。このミスアライメントは実質ドル円相場の上昇を意味する。
図表3は、固定相場下にあった1955年から2024年までのGDPデフレーターで実質化したドル円相場と日米相対実質GDPの推移を並べたものである。1955~1995年の約40年間で、日本の実質成長率が米国を凌駕する過程で継続的な実質ドル円相場の「下落」が発生。その後2024年までに、日米成長率格差が逆転していく過程で継続的な実質ドル円相場の「上昇」が生じている。大局的な視点では、中長期的な円安の構造的原因は、日銀の金融緩和ではなく日本の低成長にあることが分かる。

1990年代以降の実質的な円安と日本の低成長は、潜在成長率の大幅な低下によってもたらされたとみることができる。この観点から、日本経済新聞(2026年1月19日付)の「経済教室」欄に掲載された松元崇元内閣府事務次官の論文は示唆に富んでいる。松元氏は同記事中で、1990年代に「日本の潜在成長率は大きく低下し、政府がありもしない需給ギャップを誤って認識、財政政策偏重で成長戦略の議論が後手に」回ったことが、失われた30年の根本原因になったと論じている。
筆者は、公的部門の肥大による民間部門の圧迫(クラウディングアウト)が成長率低下に拍車をかけたと考えている。1990年代のバブル経済崩壊に端を発した金融不況下、繰り返された総合経済対策によって、1999年末までに財政投融資会計を含めた中央政府の債務残高は対GDP比151%にまで急増した。2000年以降の財投改革下でも経済対策は引き続き繰り返し実施され、中央政府の債務残高は2020年6月末に同205%まで拡大。その後の量的金融緩和を通じて、そのうち同104%の国債が日銀によって保有される格好となった。
このようなG7(先進7カ国)中最悪の財政ポジションにもかかわらず、2025年10月に発足した高市政権は、2025年度補正予算と2026年度当初予算によって、さらなる財政支出の拡大による景気浮揚を試みている。一時的な成長率の上昇期待と財政破綻を懸念した円安によって、インフレ率はさらに上昇しよう。また、長期金利の上昇はクラウディングアウトに拍車をかけ、早晩1970年代に世界経済が経験したスタグフレーション(景気後退とインフレの同時発生)が再来する可能性もある。当時を振り返るなら、財政支出や名目賃金引き上げではなく、緊縮財政と生産性上昇率の引き上げこそが、実質賃金上昇率のプラス転換への近道であることが分かるだろう。
1990年以降の暗黒の35年をあえて日本病と呼ぶなら、高市政権が掲げる経済処方箋(サナエノミクス)は間違っており、その病状をさらに悪化させてしまう公算が高い。1980年代にサッチャー英首相(当時)が英国病を克服した緊縮財政や国営企業の民営化などによる新古典派的な経済政策運営(サッチャリズム)こそ、現在の日本経済に処方されるべきであろう。サッチャー氏が1983年10月14日の保守党大会の演説で述べた次の訓戒が思い出される。
「The State has no source of money other than money which people earn themselves. There is only taxpayers’ money.(編集部訳:国家が得られる資金の源泉は、人々が自ら稼いだお金以外に存在しない。あるのは納税者のお金だけだ)」
ドル円相場は200円に向けて上昇を続けよう
本稿は、2026年2月8日に実施される第51回衆議院選挙投開票の前に執筆されている。永田町では、「一寸先は闇、選挙は水物」といわれ、2005年の郵政解散総選挙など、予想外の選挙結果に金融市場が震撼した例は少なくない。ただ、たとえ自民・維新連立や中道改革連合のいずれかが衆議院における多数を確保して与党の地位を交代したとしても、参議院では2028年の選挙まで過半数割れの状態が継続する公算が高い。換言するなら、裏金疑惑を契機に始まった政局の混乱は依然残り続けると考えられる。
1988年に発覚したリクルート事件に始まる政局の混乱は長引いている。1993年の自民党分裂と非自民非共産連立政権樹立、1994年の自社さ政権樹立、1996年の小選挙区比例代表並立制導入と自民党による単独政権奪還、1999年の公明党連立参加を経て、2001年の小泉純一郎政権樹立までの12年間に11回も首相が交代した。今回、2023年に表面化した裏金疑惑からいまだ2年しか経ておらず、これまでの自民派閥解散と選挙敗北、自公分裂、中道改革連合樹立の流れからは、政局混乱収束の兆しは全く見えてこない。中選挙区制への選挙制度改革もこれからである。
政局混乱と少数与党による政策運営が継続する限り、大衆迎合的で拡張的な財政政策の継続とともに、ドンロー主義下の新冷戦時代における日本の新たな外交・安全保障政策がただちに策定・実施される公算は低い。こうした内外の状況を加味するに、ドル円相場は、200円に向けて上昇が続くと考えられる。














