三菱UFJ信託銀行 資産運用情報 医薬品セクターに関するAI分析~新薬開発のプロセス評価~
川口 宗紀
三菱UFJトラスト投資工学研究所
研究部
上席研究員
2003年、大阪大学大学院基礎工学研究科情報数理系修士課程修了。
2003年、㈱三菱UFJトラスト投資工学研究所入社。
2012年、慶應義塾大学大学院管理工学研究科後期博士課程修了(工学)。
2023年1月~2024年12月、スタンフォード大学訪問研究員。
2023年4月より現職。日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)。
Ⅰ. はじめに
近年誰もが日常的にAIを使う状況となり、その進化は加速度的に続いている。高度な専門知識が要求される領域においても例外ではなく、例えば、医療に関するQ&Aを行った際の精度は医学部の修士に匹敵するともいわれている。仮に、AIがこのような専門領域において有効な情報を生成できるとするならば、資産運用や企業評価においてもその能力を活用できないかと誰しもが考えることであろう。
そこで本稿では、高度な専門知識が要求される医療分野を例に取り上げる。この分野において、特定の産業分野に関する詳細かつ専門的な情報である「ディープセクター情報」を、企業価値評価に活用できるかどうかを検討する。オルタナティブデータの中でも各業界固有のディープセクター情報は、その価値を解釈するのに専門知識を要するため、素人が評価するのは難しい。実験的な試みではあるが、その可能性を探ってみたい。
具体的には、製薬企業の価値を評価するうえで重要なプロセスである新薬開発に注目する。製薬企業は、競争力のある新薬の開発に成功すれば、その企業価値は上昇すると期待される。この上昇の幅は、開発した新薬がどれくらい売り上げに貢献するかに依存するはずである。では、AIは開発した新薬の価値を判断することができるのだろうか?
Ⅱ. 新薬の開発プロセス
医薬品は市場で販売(上市)されるまでに、基礎研究、前臨床、臨床、承認と段階を踏んでいく。まず、新薬の候補となる物質に着目し、また複数を組み合わせた化合物やその生成方法などに対して研究を行う。その結果得られた新薬候補に対して、動物や培養細胞を用いる試験などで有効性や安全性などを評価する。このプロセスのことは非臨床試験や前臨床試験と呼ばれる。この段階で問題が見つからなければ、人に対して投与する臨床試験に進む。臨床試験、いわゆる治験の段階では新薬候補である化合物の有効性や安全性について、患者に投与して評価を進める。この段階は、国や国際的なルールに従ってフェーズ1~3と段階的に進められる。フェーズ1では被験薬を健康な人に対して投与して安全性を評価し、問題のない用法や用量の範囲を検討する。フェーズ2は患者に対して投与して、有効性を評価しつつ適切な用法・用量を詳細化する段階である。より大規模な患者数を対象に、その有効性を検討するのがフェーズ3である。このような試験結果をまとめた資料をもとに、医薬品の製造販売に関する承認申請が行われる。申請先は米国内での製造販売については米国食品医薬品局(FDA)、EU域内での製造販売については欧州医薬品庁(EMA)、日本国内での製造販売については医薬品医療機器総合機構(PMDA)となる。このようなプロセスののち、承認を受けたものが上市される。なお、同じ化合物であっても対象となる疾病や用法・用量が異なれば、追加で承認申請が必要となる。
Ⅲ.新薬開発と株価へのインパクト
医薬品の開発プロセスと株価の関連性を評価するためには、その医薬品の市場価値を評価する必要があるだろう。大きな売上や利益を生む医薬品であれば、企業価値に対して大きな影響を与えるはずである。その1つの視点として、ブロックバスターというものがある。これは従来の治療法を変えるような画期的な医薬品のことを指す。明確な定義はないが年間売上高が10億ドルを超える医薬品とされることが多い。がんなどの三大疾病、肥満や糖尿病、認知症などの治療薬が将来のブロックバスターの候補になりうるとされている。
図表1に、2024年の医薬品世界売上高上位15位までを示した。ここに示した15製品はいずれも売上高10億ドルを上回り、ブロックバスターと呼ばれる条件を満たしている。

では、新薬開発が株価に影響するのか分析をしてみる。ここではFactSet社の「医薬品承認データベース(※1)」を用いた。このデータベースには過去の医薬品の承認申請における、各種手続きについての情報が含まれている。具体的には、承認申請が行われた医薬品、臨床試験の実施に関する公開情報、医薬品に対する訴訟などの情報である。本分析では、このうち承認申請と臨床試験実施の情報を使用する。これらの情報は、新薬開発の過程が進み、開発完了に向けて順調に進んでいることを示すものであり、企業業績に対してポジティブなインパクトをもたらすものと考えられる。その情報を組み合わせることで、新薬の開発プロセスを浮かび上がらせることとする。
なお、これらのイベント発生インパクトを評価するため、イベントスタディという、特定イベントが株価等に影響を与えるかを評価する方法を適用する。そして、新薬を開発した企業の株価が、イベントの発生前後でどのように変化したのかを調べる。このとき、株価はFama-Frenchの3ファクターモデルでリスク調整を行った後のリスク調整後リターンを用いた(※2)。Fama-Frenchの3ファクターモデルは、株価の動きをマーケットファクター、サイズファクター、バリューファクターの3つのファクターで説明するモデルである。分析には、米国上場企業を対象(※3)に医薬品承認データベースから入手できる全てのイベント情報を利用している。ただし、株価が1ドルを下回っている場合には、信用力に問題がある可能性などを考慮し分析対象から除外している。なお、上述の通り、1つの医薬品に対して複数の用途、用法、用量があり複数の承認申請がされているケースがあるが、これらすべてについて分析を行っている(※4)。分析対象となる企業は166社である。これは米国上場企業のうちNAICS(北米産業分類システム)(※5)で医薬品製造業(業種コード:3254)に属する企業414社のうち132社が含まれる。そのほか、医療機器製造業(業種コード:3391)114社中11社、科学研究開発サービス(業種コード:5417)148社中9社である。医薬品製造業に分類される企業のうち本分析の対象とならない企業には、医療機器製造企業、動物用医薬品製造企業などが挙げられる。
※1 https//www.factset.com/marketplace/catalog/product/factset-streetaccount-drug-events-and-pipeline
※2 モメンタムを加えた4ファクター、収益性、投資ファクターを加えた5ファクターでも分析したが同様の傾向であった。
※3 本稿では承認申請の情報が最も充実していることから、米国上場企業を対象とした。
※4 臨床試験の情報については公開された情報のみであるため、すべての医薬品について承認までの各段階が捕捉できているわけではない。さらに、臨床に関する情報は開始時、終了時、期間中など様々なものが含まれている。また、1つの医薬品に対して複数の用途や用法・用量がある場合があるため、それぞれについて臨床から承認の流れは考慮しない。また、1つの医薬品に対して複数回の承認申請がある場合、初回の承認申請が最も重要と考えることもできる。このような前提で、初回の承認申請のみでも同様の分析を行っているが結果には大きな違いはみられなかった。
※5 アメリカ、カナダ、メキシコの3国によって共同で策定された産業分類システム。
図表2はその結果である。上段は入手した医薬品イベントデータのうち2000年以降のものを集計したもの、下段はその中から2024年における世界売上高上位50位までの医薬品のみで同様の分析を行った結果である。グラフの折れ線はFama-Frenchの3ファクターリスク調整後リターンを足し上げたもので、イメージとしては株価の推移をみているようなものと考えていただければよい。また、イベント発生前日の終値を0となるように調整している。

世界売上高上位50位までの医薬品は2010年代後半から2020年代に承認申請が行われており、ここでの分析はこのような医薬品の開発段階で株価に影響を及ぼしていたのかを確認していることになる。グラフの縦軸はイベント前後のリスク調整後リターンの平均値を示している。それぞれの医薬品についてすべてのイベント情報が入手できていなかったり、上述の通り1つの医薬品についても複数の用法や用量が考えられたりするため、複数の臨床試験や承認申請があることに注意されたい。参考までに、集計したデータ件数については、各グラフ右上に「n=○○」という形で示した。
以降では、これらの結果について、①イベント発生時の株価のジャンプ(サプライズ)の有無やその幅、②イベント発生前後の株価の動き、の2点に注目して考察を進める。
まず上段の全製品においては、フェーズ2、フェーズ3、承認申請のすべてでサプライズが観測され、イベントに反応していることが窺える。サプライズが発生した後は、その上昇分を打ち消すように推移し、60営業日経過後には大半が消失している。一方、下段の売上高が大きい医薬品については、フェーズ2、フェーズ3、承認申請のすべてでサプライズは観測されていない。また、イベント発生前後の株価では、特にフェーズ3と承認申請において、正のドリフトがみられる。このようにサプライズやイベント前後で、上段と下段で全く異なる動きになっている。
サプライズ発生の有無は注目度という観点から解釈することができる。株価にポジティブな影響をもたらすようなイベントが発生した場合には、上段のようにサプライズという形で株価の上昇が期待される。しかし、下段の高い売上が期待できる医薬品は市場から注目されやすく、フェーズ3や承認申請などのイベントを待たずして、その影響が株価に織り込まれやすいと考えられる。実際、イベント発生時点前後を通して株価に正のドリフトが発生し、株価に織り込まれている様子が観測されている。
一方、上段でみられる「サプライズ発生後にそれを打ち消す株価の動き」について、大きな売上高を期待できるかわからない医薬品は、業績へのインパクトも明らかでない。そのため、株価はイベント発生前の水準に戻っているという解釈ができるだろう。
もう一点、上段(全製品)についてサプライズの幅をより詳しく見ると、フェーズ2よりもフェーズ3や承認申請の方が大きく、株価へのインパクトが大きい結果となっている。この理由はフェーズ2のほうが、フェーズ3や承認申請よりも上市までの不確実性が大きいケースが多く、注目度の観点よりも影響が大きいため、ジャンプ幅が小さかったと考えられる。
長期的な運用を考える上では、短期的に株価が動くようなものではなく、中長期的に業績にインパクトをもたらす、下段のケースを取り出せることが望ましいということになる。つまり、高い売上が期待できる医薬品を判断できるかという点が重要であるということが、イベント分析の観点から確認できた。
Ⅳ.生成AIは医薬品の価値を評価できるのか?
では次に生成AIがこれらの医薬品の価値を評価できるのかについて検証する。生成AIに医薬品の製品名を与えて、その価値を5段階のレーティングとして評価させてみた。生成AIに対する指示を記すプロンプト(図表3)には評価する観点を加え、生成の際には簡単な説明をするように求めた。具体的には、医薬品を利用する想定患者数、薬価、新規性、代替医薬品の数を指定し、それぞれについても1~5のレーティングを付与するように指示した。図表3の最後の数行は、生成AIからの回答を以降の分析に利用しやすいように、解答の形式についての指示である。

今回の検証で用いた生成AIはgemini-2.0-flash-001であり、2024年6月までの情報を学習している。したがって、今回評価させた医薬品について図表1のような売り上げに関する情報も学習済みである可能性が高い。生成AIを利用する際にすでに学習している知識を利用してしまう懸念を取り除くことは難しい、もしくは実質的に不可能である。この点については別途検討が必要であるが、今回は「生成AIが専門的な知識を要する分野について評価を下せるか」という点に焦点を絞って分析することにする。

図表4はAIが生成した図表1にも記載されているHumiraに対する評価である。説明は的を射ており、リウマチやクローン病などHumiraの適応症が列挙されており、生成AIがHumiraに関する知識を十分に有していることが窺い知れる。それぞれの観点について評価値が適切かどうか図表4のみからでは判断が難しいが、高評価の説明がついている観点には5のスコアがついているように、説明に応じた評価値となっているようにみえる。

図表5には、全製品(左図)と2024年上位50製品(右図)について、生成AIが評価したレーティングの割合をヒストグラムとして集計したものである。それぞれの図の左上に「n=〇〇」という形で集計した製品の数と、平均レーティングを示している。全製品の平均レーティングが3.14に対して、レーティングが高くなることが期待される2024年上位50製品の平均レーティングが3.66と、約0.5の差がある。医薬品の売上高の評価をある程度できているものと考えてよい結果であろう。しかし、レーティング3の医薬品が全製品の中で8割を占め、レーティング1や2を付与している医薬品が極端に少ないなど、もう少しメリハリのついた評価を期待したいところではある。
図表6は、生成AIが作成したレーティングを用いて行ったリスク調整後の各イベント発生前後のリターンの推移である。上段は低レーティング(レーティング1~3)、下段は高レーティング(レーティング4、5)であり、左から臨床フェーズ2、フェーズ3、承認申請のイベントに対する分析となっている。図表2と比較できるように、図表6では大きい売上高が期待できる医薬品を下段に配置した。
図表2での考察と同じように、①イベント発生時の株価のジャンプ(サプライズ)、②イベント発生後の株価の動きの2点に注目する。ただし、データ件数について確認しておく。各グラフの右上に示した通りデータ件数は図表2の下段(承認申請の場合で41製品)よりも図表6の下段(承認申請の場合で179製品)のほうが多く、売上高上位の医薬品よりも多くの医薬品が高レーティングとして抽出された。このことを念頭に置いておいていただきたい。
上段のレーティング1~3の医薬品については、イベント発生時のサプライズが発生し、その後サプライズを打ち消すように株価が推移している。この動きは図表2の上段と同じような動きでと考えてよいだろう。一方、下段のレーティング4、5の医薬品については、フェーズ2と承認申請は図表2と同じようにサプライズが観測されず、承認申請については正のドリフトが発生しているように見える。この動きも図表2の下段と概ね同じであるといえよう。生成AIによって、図表2の下段と類似の株価の動きをする医薬品をより多く抽出できていることを示している。
図表2と違いがみられるのは下段のフェーズ3についてである。これについてはイベント発生に株価のサプライズがみられるものの、サプライズを打ち消すように株価が推移していない。この理由には、注目度は高くないものの株価に影響を与える程度には売り上げが期待できる医薬品が含まれている可能性が考えられる。この点に関連して、上段のフェーズ3と下段のフェーズ3におけるサプライズの幅に注目したい。上段の低レーティングよりも下段の高レーティングのほうがサプライズの幅が大きく、高レーティングのほうがその開発企業への影響が大きいことを反映していると考えられる。つまり、下段のほうには、売上が期待できる医薬品が含まれていることが示唆されている。
以上より、承認申請の結果からも、フェーズ3の結果からも、下段の高レーティングに売上が期待できる医薬品が含まれており、株価に対して中長期的に影響をもたらしている可能性が確認できた。このことは、生成AIでレーティング4、5を有する医薬品を抽出し、新薬開発のプロセスを把握することで、製薬企業内の銘柄選択に活かせるかもしれない。

Ⅴ.終わりに
新薬開発の進捗に関する情報公開が、その開発を行っている製薬会社の株価にどのように影響を及ぼしているかを調べた。その結果、すべての新薬が株価に対して影響を及ぼすのではなく、その新薬の価値に基づいて反応が異なる事が確認された。予想の通りではあるが、このことからも、新薬開発が株価に与える影響を評価するためには専門知識が必須となる。
実験的に、専門知識を習得しているとされる生成AIに新薬の価値評価をさせたところ、高評価の医薬品と低評価の医薬品とでは株価の反応が大きく異なり、生成AIがその価値をある程度は判別できるとの結果が得られた。しかし本分析では、初期的な分析の例として、すでに生成AIが学習した医薬品の価値についての事実を出力しているだけで、未知のものについても適切な判断が下せるかまでの判断を行うものではない。その可能性の判断については、生成AIのバージョンを注意深く選び、今後登場する医薬品などに対して同様の分析をするなど、さらなる検証が必要である。また、生成AIへの指示であるプロンプトの作成方法についても検討の余地がある。医薬品の評価ではなく開発企業へ業績の影響としてレーティングをさせたり、その医薬品が他の症状へ適用できる可能性、製造販売におけるコストやリスクなどの観点を拡充したりと、生成AIをどのような形で利用すれば最もパフォーマンスを発揮できるか興味深い課題である。
現在も生成AIは進化し続けており、運用業界においても様々な形で利用が進んでいくであろう。本稿で用いたアプローチはその中の一例にすぎず、生成AIの進化に伴って利用方法の可能性も広がっていくと考えられる。一方で、生成AIの利用におけるリスクや説明責任をどう果たすのかといった問題もある。利用価値とこれらの問題を勘案しつつ、どのように利用すべきかについて検討を重ねていく必要がある。
(2025年9月18日 記)
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