米国期待インフレ率と、ドルの名目実効為替レートは逆相関

橋本 将司
公益財団法人 国際通貨研究所
上席研究員
橋本 将司(はしもと・まさし)
慶應義塾大学卒業後、三菱UFJ銀行に入行。国際通貨研究所研究員、グローバルマーケットリサーチ・シニアアナリスト、経済調査室ニューヨーク駐在などを歴任し、グローバルな為替市場やマクロ経済に加え、米国金融規制など幅広い分野の調査業務に従事。2020年より再び国際通貨研究所へ出向し、為替市場や主要国の金融政策・マクロ経済動向の分析を担当。理論的な観点からの為替市場分析を得意とする。国際通貨研究所ホームページ(https://www.iima.or.jp)にも各種レポートを掲載

2021年は米国をはじめ主要国でインフレ率が大きく上振れることとなった。米国でも感染拡大に伴う物流・供給網の混乱や人手不足が予想以上に長期化。インフレ率は約30年来の水準まで上昇した。市場の織り込む米国の期待インフレ率も、10年物ブレークイーブン・インフレ率で見て2020年以降大幅に上昇。2021年春にFRB(連邦準備制度理事会)がテーパリング開始の可能性に言及したタイミングでピークを打ったかにも見えていたが、その後も続いた米インフレ率の高止まりやFRBによる金融緩和政策の早急な巻き戻しに慎重なスタンスなどを受け、さらに上昇した。

米国の期待インフレ率は、過去からドルの名目実効為替レートと大局的に逆相関の形で比較的高い相関があり、ドルと米実質金利の間の順相関と比べても総じて高い傾向がある。実際、理論的に考えて、為替レートとインフレ率の間には相互に影響をおよぼし合う逆相関の関係があると考えられる。

まず為替レートは、数年単位では両国の物価指数の比率の趨勢(すうせい)である購買力平価のトレンドに緩やかに沿って(インフレ率の高い通貨が下落する形で)推移する。逆に、為替レートも主に2つの経路からインフレ率に影響を与えると考えられる。為替レートの変動は外需を通して需給ギャップに影響を与え、先行き基調的なインフレ率の上昇・下落圧力につながり得る。また、為替レートの変動は、それによる輸入物価の変動を通して国内インフレ率に影響を与える。事実、ドルの名目実効為替レートの前年比の変動から数カ月~ 1年程度のタイムラグを伴って、米国の輸入物価の前年比は逆相関の形で変動している。このように、為替レートとインフレ率は本来一定のタイムラグを伴いながら相互に逆相関の形で影響をおよぼす関係と考えられる。

もっとも、実際のドルの名目実効為替レートと米国期待インフレ率の逆相関は、図表1の通りほぼ同時進行的だ。こうした実際の動きの背景として考えられるのは、まず米国期待インフレ率の上昇・下落が、市場参加者のドル建て資産に対する同時進行的な嫌気・好感につながり、ドルの動向に対して逆相関の形で影響をおよぼしている側面があろう。また、先にみたようなドルとインフレ率のタイムラグを伴った相互に影響をおよぼす関係を市場が予想して織り込み、ドルと米国期待インフレ率が前倒しで変動しているとも考えられよう。

図表

そしてより本質的には、例えば米国期待インフレ率が上昇するような市場がリスク選好的な状況では、安全な通貨とされるドルが下落しやすいことが両者の逆相関の主因と考えられる。そもそも主要国の期待インフレ率はグローバルに経済状況が改善して市場がリスク選好的な状況ではともに上昇し、逆の状況ではともに下落して連動する傾向がある。

主要通貨の名目実効為替レートと各国の期待インフレ率の推移を見ると、ドルや円など安全とされる通貨は、それぞれの期待インフレ率と総じて逆相関である一方、ユーロやカナダ・ドルなどの通貨は期待インフレ率と順相関の関係が見られる。つまり、ドルと米国期待インフレ率の同時進行的な逆相関関係は、こうした市場のリスク選好・回避的な状況に対する各通貨の反応メカニズムがより本質的であることを示していよう。

J-MONEY Onlineカンファレンス ~今注目される非財務情報と企業価値評価の新常識~

供給制約によるインフレ圧力はむしろドル上昇材料になり得る

ドルの名目実効為替レートは2021年初以降底堅い推移が続いてきた。米経済の回復やインフレ圧力から、FRBが金融緩和政策の巻き戻しプロセスに入ったことが材料視されているためだが、米金融政策や米金利動向とドルの相関は大局的に見ると常に安定しているわけではない。本誌2021年10月号「ドルは当面強含み推移を継続へ~ドルサイクルから考えるドル相場の見通し」でも紹介したように、ドルサイクルの大局的な推移は、米金利や他国との金利差の推移よりも、米S&P500株価指数をMSCI新興国株価指数(現地通貨建て)で割った株価指数比率と連動性が高い(図表2)。

図表

米株価指数と、世界景気の動向を敏感に反映しやすい新興国株価指数のどちらが相対的にアウトパフォームしているかが、米国を巡る国際的な資本フローの代理変数となっており、ドルの大局的な動きもこれに大きく影響を受けているためだ。

米株価指数は2021年以降も堅調な米経済を反映して底堅く推移している一方、不動産業界の調整局面入りなどにより上値の重い中国株の影響などを受けて、新興国株価指数は2021年初以来緩やかな下落基調に転じている。これにより株価指数比率は2021年以降上昇基調に転じており、ドルもこれと整合的に2021年以降上昇基調へ転じている(筆者は両株価指数比率の上昇・下落の組み合わせからドルサイクルを局面①~⑥の6つに分類しており、2021年初以降は局面⑤の米国リスク選好・新興国リスク回避のドル高局面にあると見ているが、詳細は本誌2021年10月号本欄をご参照)。

過去から米国期待インフレ率と株価指数比率の動きが相反する方向を示唆する場合、ドルサイクルは株価指数比率に沿って推移してきた。2021年以降米国期待インフレ率の上昇が続いているにも拘わらず、これと逆相関にあることが多いはずのドルが上昇に転じたのも、株価指数比率の示すドルサイクルの方向に沿って推移していたためだ。

通常足元のように新興国株価指数が軟調に推移するような状況では、商品市況や米国期待インフレ率が下落し、上昇するドルと逆相関になりやすい。しかし、現状は中国国内の政策要因により中国株価や新興国株価が上値重く推移しているにも拘わらず、主要国による大規模な金融・財政政策の結果、世界的にはリフレーション圧力が強く、商品市況や米国期待インフレ率は上昇している。ドルは株価指数比率に沿って上昇しているものの、一部資源国通貨が底堅く推移するなどして、ドルの上値が一定程度抑制される構図となっている。

このように米国期待インフレ率の上昇は、それが世界経済の順調な拡大や市場のリスク選好的な地合いと併存している場合、ドルの上昇抑制・下落要因になると考えられる。一方で、足元は供給制約によるインフレ圧力も強まりつつあり、その対応のため今後FRBを含む主要国中銀による金融緩和政策の巻き戻しが大幅に前倒しされる場合は、世界景気の減速要因となり得る。スタグフレーション的な状況が世界的に生じるリスクを市場が懸念して、特に新興国株が大きく下落するような形でリスク回避的な地合いとなれば、株価指数比率も上昇する。そうした状況を伴う米国期待インフレ率の上昇は、むしろドルの上昇材料となろう。

(記事内容は2021年12月1日時点)